旧暦 と 暦(こよみ)

 


 

望まぬ話題

 

中国は治安どころか国土が干ばつに豪雨で物価高に食糧不足、中共の手にあまる。

ウソで固めた内政から目を逸らせるため、領土拡張の勢いを増す方向性を示した。

一方、気まぐれドナルドには、大統領選の勝目を得られるネタがない。

大統領選を好転させるには、メリケンのお家芸?絵に描いたような悪を設定して

中共を攻撃するくらいしか人気取りの方法がない。

この勢いだと、我が国も戦争するハメになるだろうなぁ・・・

中国の兵装はヘッポコだが、数が多すぎて、守りに徹するのは到底ムリだから、

攻撃される前に制圧してしまうほかない。

その動きに対して、朝鮮人やプーチンが静観しているとは思えず、実にややこしい。

GPSの示す座標がオカシクなったら、米軍が本格的に動き出すシグナルである。

民生システムも、だいぶGPSに頼っているから、今のうちに策を考えておいたほうが

イイと思うんだが・・・ 中共コロナで、それどころではなさそうだ。

 

当初予想した通り、沖縄はコロナに弱かった。

徳之島に伝わるのも、そう遠くなかろう。 スーパーに行くのにも、緊張感がよぎる。

 


 

ところで

伊勢では、あたりまえのように体温かそれ以上の気温が続いている。

島はそれほどでなく、せいぜい34℃程度で済んでいる。

とはいえ、夜の寝苦しさは厳しく、倦怠感が増した上、昼でも眠気がとれなくなっている。

ハブは怖いが、玄関を閉めて寝ることができなくなって久しい。

幸い、まだネズミの侵入もなく、履物の下に小さなカニやオカヤドカリが居た程度である。

たまに、アシダカグモが夜中に体の上を這いまわって驚かされるが、実害はない。(笑)

 

 

さて

今日はグレゴリオ暦では8月19日、旧暦では七月一日にあたる。

現在新月だから、七月十三〜十五日のお盆(盂蘭盆会)まで、およそ二週間もあるのだ。

このところ、昔から伝わる行事に関して勉強しようと、暦の勉強をしている。

 

旧暦は、改良を重ねた太陰太陽暦で、月齢ベースの太陰暦を基礎としながら

二十四節気で実質の季節を表現するよう進化した暦(こよみ)である。

ただ、実際のお祭りなどは、干支や六十干支なども取り入れている場合も多かった。

それに、夜が明るいので、十五夜近辺に、お祭りが多いように思う。

満月には、ニンゲンの精神も高揚するので、お祭りには向いているのもあるとか???

お祭りは、たいがい合コンや集団見合いの意味合いも強かったし。

広報誌掲載のあと、脳内を整理する意味でカレンダーを再構築してデータベースへ。

 

意外にも、江戸幕府おかかえの天文方は優秀で、非常に正確な太陽観測によって、

グレゴリオ暦よりも正確に一年の長さを算出していたというから驚きだ。

西洋から取り入れた技術や知識を練りに練り、究めに究めるのは、昔から得意だったよう。

極めて精度の高い二十四節気の日にちにより、アバウトな旧暦を保管してきたのだ。

たぶん、幕府の財源である米栽培を極めるには、太陽の運行と季節の移ろいを知ることが

重大事だったのは疑うべくもあるまい。

 

二十四節気は春分を基本として、正確に太陽の運行を反映した季節の移ろいを示す日だ。

 

存知だろうか?

今年は四月が二回あり、13カ月の年であることを。

旧暦では、二十四節気のうち、節気でなく中気を補正に用いてきたが、四月の小満のあと

次の次の月まで夏至がやってこない。 中気のない月を閏月にするという決まりだ。

今年は四月を二回営むことになったが・・・ 旧暦の月日は、どれだけズレるんだ???

旧暦の一カ月は、29日か30日しかないから、こ〜ゆ〜ことが起きてくれるのだろう。

 

ときに、農家は昔ながらの旧暦生活が相応しい・・・ みたいなことを聞いた気がするが、

一年が354日しかなく、三年にいっぺん384日

なってしまう月日の運用は、季節に準じることなく、ホンマに農業に向くのかコレ?(笑)

 

旧暦を語るなら、月名は葉月、長月とかだろ?と思った向きもあるだろうが、

奈良時代にはすでに一月、二月、三月などと記しており、最初から睦月、如月、弥生と

いった記し方でなかったようである。

ただ、読み方は、ムツキ、キサラギ、ヤヨイだったらしい。

 

めんどくっさ〜 (学校などない当時のポン人も、そう思ったに違いない)

 

実際のところ、庶民にとって何番目の月か・・・ の方が分かりやすいのは自明である。

水無月などの和風月名は、季節をよく表していると謂われるが、

二十日以上ズレる季節感とは、ホントのとこどうなんだろう・・・ と思ってしまう。

とてもではないが、実際に旧暦カレンダーを日々眺めているとは思えなく、

失礼ながら、風雅を感じる自分に酔いたい人物の、憧憬ではなかろうか?

 

調べがついていない 一大事がある。

 

幕府にとって暦は、軍事、統治情報の一部だったようで、勝手に暦を発行するのは

制限されていたようだが、それ以前の問題は、読み書きできぬ農民などはカレンダーを

持っていても仕方なかったろうし、どのように暦を知り、生活に取り入れたのだろうか?

月の満ち欠けだけで、日付を知ることが、社会の常識だったとか?

 

内地の場合、たいがいの行事は神社や寺が関係する場合が多いものの、そうでなく

島でも三月、五月、九月の節句を祝っていたから、日付はそこそこ使っていたと思う。

他方で、琉球国の影響下にあった島々では、内地風の仏教や神道は根付いていない。

 

地獄とか、来世とかど〜でもい〜からだが、ワシも げにそう思う。(笑)

 

信心がなかったワケでなく、祖霊崇拝=とてもご先祖を大切にする民族だったのだ。

今でも、一日と十五日に墓参りを欠かさないシマンチュも居られるくらいだ。

それ以上に、洗骨といって、墓に埋める前に風葬や土葬にして、白骨化してきたら

洗って墓に納める習慣があった。 ちなみに土に返すのでなく、地上より上に納める。

現代の島の墓は、形こそ内地と同じだが、土台が高いのは、そのためだ。

 

なので、仏教とは別に、ブン(お盆)はとても馴染んだようで、現代でも盛んだ。

送り盆の日は、スーパーも早めに閉店するくらいである。

 

旧暦七月の行事が、十三〜十五日にブン、そのあとの丁(ひのと)の日に大きな行事

ハモォリ(浜下り)があることからしても、よほど気に入って取り入れたことがうかがえる。

もともとハモォリは土着の三大遊興日のひとつで、新生児の祝福や宴会、闘牛、踊りなど

様々な遊興が執り行われ、ズラすことなどできぬ行事で、その前日にムリヤリねじこんだ

ブンは、よほど気に入ったのに違いない。

本来なら、行事を減らせというお達しがあったほどで、薩摩藩から廃止されても仕方ない

ハズなのだが・・・ 仏教の浸透は、幕府の宗門改制度にとって好都合だったから

島人を統べる上で、阻止するソレラシイ理由が見つからなかったのだろう。(笑)

 

あるいは、江戸末期の砂糖地獄で、奴隷のような生活に苦しんだ島人らのなかで、

ウマイコト考えて、アテツケに休み増やして薩摩藩に対抗したのかもしれない。

また、それを許すことで薩藩(さっぱん)は、一揆が起きるのを防ごうとしたのかも。

 

気になる記述がある。

アンダネと謂う、無駄に茂った草木を刈り払い、ハブを払う行事が五月に行われていた

とされるが、この日にちが、なんと六十干支のミズノエタツで指定されていたのである。

 

ちょっとその前に

六十干支は数学的にオカシクないか?と思ったことはないか?

私は、かのヒノエウマの生まれで、先輩は60年前に生まれているアレである。

かく謂う私も、長年放置してきたナゾだった。

キノエ、キノト、カノエ、カノト・・・など五行は10種、干支は12種だから、60でなく

120種あるんじゃないか?とか。

10と12だから、2ずつズレるため、奇数番で当たらない組み合わせができるから

組み合わせの数は、最小公倍数になってしまうのだ。

 

閑話休題

 

六十干支で指定する日は、当然ながら60日にいっぺんしか巡ってこない。

五月にあてはまらない年が、ずいぶん発生してしまうことになる。

この伝承については、信ぴょう性がビミョ〜なのか、六十干支に意味があったか

の何れかと謂うことが判る。

 

また、太陽暦の365日と、六十干支の6巡360日が近いコトも気になるところで

そこらにナゾを解くカギがある可能性も捨てきれない。

 

ともあれ

旧暦は、月が見えればカレンダーなしでも、日にちを知ることができる便利さがある。

反面、月名と季節のズレが大きいのは否めない。

旧暦はおよそ一月遅れ・・・ などと謂うものの、冒頭にも述べたように、全然ズレる。

おおまか、が通じないほど季節とズレるのが旧暦のカレンダー事情であった。

 

  

そういえば

青の読者なら気づいたかもしれないが、旧暦には31日は存在していない。

極めて年末気分を味わえる31日がなく・・・ 大晦日は存在していなかったのだ!

大晦日とは、明治以降に年末気分を盛り上げるのに産みだされた俗語だろう。

あるいは、明治政府や伊勢神宮あたりが、苦し紛れに流布した呼び名かもしれない。

 


ではまた