とりあえず 食う

 


 

世間の 腹の内

 

武漢肺炎が止まらない、もはやウィルスと人類との戦争状態だ。

だが、人権が・・・などと、ゆるういポン人の賢人まがいの人物が軽々しい。

その発言には、なんの具体策もなく、ただの言い放ちであり、考えない民衆を

混乱させる意味しか持たないことを、想像できないらしい。

これから先、地域や、事態のトリアージが必要になることは、想像に難くない。

オリンピックも、観客無し程度で実施できれば好いが・・・ それだとオリンピックを

商機としている東京都にとっては、無意味だろう。

ムヤミに増やした民泊や、外人対策で買い貯めた冷凍牛肉もはけず・・・

ひょっとすると、この夏は牛肉が安くなるかもしれんなぁ。

島の養牛景気も、そろそろ落ち着くことだろう。

 

野党もマスコミも、政権与党がやることに対しては、アーイエバコーユーのが定石。

とゆ〜か、それしか能がない。 作用があれば、必ず反作用がある・・・ みたいな。

あらかじめ情報を流せば反論するし、しなければ批判する。

弱者、被害者が正義だ・・・ まるで朝鮮者か!?(笑)

ただ、それを報じないと、何も考えないバカポン人も多いから、仕方ないのかもなぁ。

それなら、うつ病の薬が、パーキンソン症候群を引き起こすことを報じてもよさそうだが。

 

未だに、隣国とは仲良く・・・ みたいなのが居るから恐れ入るわい。

両の頬を殴打されてなお、耳を切り落とされても、目をえぐられても、仲良くしたいらしい。

もし、隣国と仲がよければ、一つの国や連邦になっても不思議はないハズなんだが・・・

ともあれ、終戦直後の朝鮮人らの蛮行を考えれば、この際だからアチラ国籍の方や

ご家族には半島へ帰ってもらいたいものだ。 差別でなく、島国民族としての願いだ。

それに、アチラでは罪は世代を超えて引き継がれるんだろ?

中国にしても、朝鮮にしても、今や人類の癌と化している。

私たちは敗戦国で属国だ。

癌を生んだのは、ご都合主義の連合国や、手のひら返しのロシア人たちだ。

今さら、どうしようもないが、私たちの身は私たちが守らなければ、どうしようもない。

それに、ことここに及んでは、米国はウィルスに対しては、あまり強そうでもない。

 


 

ところで

 

睡眠時無呼吸症候群について、原因をご存じだろうか?

一時的には、舌が喉へ下がってしまうからだが・・・ それがなぜ、加齢によって起こるのか?

そこに言及しないのか不思議だが、対処療法を儲けとするとする医療において、不利だからだ。

加齢により舌が落ちるのは、無駄に長生きし、40年前後で終わるハズの一生を伸ばし過ぎて

しまったからに、ほかならない。 加齢は克服できないが、問題は腹膜の筋力低下もある。

舌が下がっても、ちゃんとイビキをかければOKなのだ。 イビキがひっかかると、無呼吸になる。

それだけのこと。 イビキで目が覚めるじゃないか・・・だと? ふざけるな!

加齢に立ち向かうのに、イビキくらい慣れないでどうするのだ? 騒音くらい、じきに慣れる。

馬鹿正直にやるなら、ジョギングなどで呼吸を増やして腹膜に負荷をかけてやるワケだが、

世の中にはイロンナ呼吸法があるものだ。

ヨガには、のどの奥を狭めてイビキ状態にし、呼吸を繰り返す方法があり、腹膜を鍛えられる。

私も運動不足で腹膜の力が低下して苦しくなったので、現在ヨガ実施中である。

んま゛〜 ぶっちゃけ、うつぶせ寝や横になって寝れば、防げるんだが・・・ (笑)

 

ウソだと思うのなら、医者にたずねるといい。

なぜ腹膜の筋力を取り戻す方向でなく、儲かる方向でのみ、世論を操作するのか・・・? と。

かなり慌てて、いや顔色を変えまいとし、訪ねてもないことまで語ってくれるハズだ。(笑)

メガネ屋や、それと結託した眼科医が、老眼鏡で老眼は進むハズが無いと嘯くのと同じだ。

今や、老化現象は、産業を支えるツマラナイ原動力となってしまっているのだ。 やれやれ。

 

  

さて

棒ラーメンのひとつ、本場ラーメンを食べてみた。

具は、冷蔵庫に常備している、ハム、小松菜、長ネギで。

熊本の日の出製粉で、もともと九州発祥のためか、農協もシガラミ的に品ぞろえを

欠かすことができないのかもしれない。

無駄に地域に厳密なのか? 九州北部産のマルタイは入荷していない。(笑)

 

驚いたのは、袋に入っている麺が、ただの一本も折れていないことだ。

こよなく愛する、五木の信州そばの折れやすさとは対照的である。

細いのだが、コシがあって伸びにくいのには、長年の小麦の改良や、正麺技術の進化が

影響しているのだろう。 粉末スープとオイルも二食分、二袋ずつ入っている。

味の方は、最初からコショウが効いていて、いささか反則気味ではあるが、まあ素直な味。

チューブ・ショウガとの相性も悪くない。 本来なら?紅しょうがあたりだろうか。

 

ただ・・・細麺のせいか、麺がひともちになってしまい、いささか食べづらい。

棒ラーメンの宿命か。

コスパはアベックラーメンよりは下。

やはり、アベックラーメン・豚骨の改良を試みた方が、味がちゃんぽんに近いいぶん、

バリエーションが広がりそう。

都会だと、コシのある麺のみを販売しているかもしれないが、それがあれば市販のスープを

組み合わせてイロイロ愉しめるんだろうなぁ・・・ あご出汁とかも、ブレンドもし放題だし。

 

ま゛ しかし

わが家では圧倒的に日本そばが多いから、それほどバリエーションは展開しなさそう。

毎回、アレンジを加える程度・・・ だろう。(笑)

 

いづれにしても

細くてコシのある乾麺はガス代も節約できるから、経済的に嬉しい食材であるし、

スープがからみやすいので、汁を薄味にできるところが体に優しい。

 

 

肉豆腐を豚肉と味噌味にしたようなのを、ネットで見かけた。 少し経ってからピーンと来た。

あ〜 コレなら優しい風味だから、小さな子らにも食べやすいし、作り方も簡単だ・・・

豚肉、豆腐、味噌の相性が悪いワケがない。

 

私なりには、マーボは自信のある料理だが、肴としては濃ゆすぎて食べづらいし、

だからと謂って、マーボの麻(まー)は捨てがたい。 内地で、ホワジャオを仕入れてきたし。

熱くしたベニバナ油とゴマ油に、特売のこま切れ肉をさらに細切りして、白ネギの青いところと

一緒にザッと炒めてから、ひたひたより多めの水を加えて炊きながら、豆腐、化学のあご出汁、

清酒、みりん、一味少々、塩分ひかえめの合わせ味噌を加えたもの。

カタクリを入れない、和風マーボみたいなもの。

キリキリと仕上がりのベストなタイミングを図る必要が無くて、気楽にこさえられるのが嬉しい。

そのまま食べてもいいが、この際だから、ホワジャオをバサバサ振ってから、いただく。

 

再加熱もし易く、優しい白みそ&あご出汁風味なので、ホワジャオの木質的な香りが引き立つ。

さすが、フンドーキンの減塩合わせ味噌、ほぼ甘ったるい白みそで、これが活きる。

味噌汁にするとカナリ好みが分かれる味噌だが、この調理に関しては、優しい風味が優秀だ。

 

山口の、母方のばあちゃんの味噌汁が、甘い白味噌仕立てだったのを思い出す。

味噌汁の底に、溶かれた麦のこげ茶の線=黒条線が見えていたことも。

 

 

卒然、アレが食べたい・・・ と思うことがあるだろう。

今回は、炊き込みご飯だった。

いや、炊いてから思ったが、実は食べたかったのは、コレじゃなかろうか・・・ お焦げ。

昔は、白ご飯にもお焦げがあったもんだ。 お焦げの茶漬けなど、たまらんかった。

 

鶏モモもあったが、なぜか今回はヤケに鶏ムネにひかれたので、干しシイタケと

シンプルに炊き込んでみた。

油分が足りないので、健康的ではないものの、皮を小刻みして加えてある。

いつも、超薄味になってしまうから、今回は気合を入れて醤油。みりん多めである。

 

思った通り、炊き込みご飯は、ともすればネチャネチャするから、もち麦を足してみたが

これが大正解だった。 ただし、具材の水分量も含めて、水の量はかなり勘が必要だ。

米のねばねば、もち麦のプルもち感、肉のモサモサ感が絶妙な炊き込みご飯である。

旨味のふくよかさ、やはり鶏ムネでしか味わえないなぁ・・・ これこれ。

つい、冷凍にせず残しておいて、冷や飯でしっとり味がしみたところを、晩酌の肴に。(笑)

炊き込みご飯は、冷や飯に極まる。 赤飯しかり。

 

 

実は

もち麦は昨年の8月で賞味期限が切れているのを、冷蔵庫で見つけたのだ。

鹿児島は夏場、美味い新米に恵まれるので、つい臭みの強い麦を加えづらいのである。

麦飯は、むしろ好きな方なんだが・・・

横浜からやってきた平成20年(2008年製)の半田そうめんも、今もって実在する。(笑)

 

炊き込みご飯のまえに、もち麦飯を炊いてみた。

冷静に食べてみると、麦臭のなかに餅のような香ばしさが漂う。

そして、フタバの御飯の友。

元祖ふりかけだが、苦みばしっているから、不人気らしい。

伊勢では、さっぱり見かけなかった。

最初からオトナの味として産み出されたから、オコチャマ味覚用に改良された

のりたま世代には、合わなくて当然だろう。

 

さておき

現代版の麦飯とともに、軍事国家だった大正の味わいに思いをはせる。

当時の東日本のコメは、収量も少なく、ずいぶん不味かったことだろう。

保存も、現在のような冷蔵ではなかったろうから、状況によって様々な味だったろう。

それでも、軍人になれば毎日コメが食えたことは、おそらくステイタスだったに違いない。

そういう思いを、忘れてはならんだろう・・・ と思うこの頃。

自力で立つことは、最低限、独立国家として必要なことだ。 独立、とはそう謂うことだ。

 

歳をとると、飯を食らうだけなのに、いろいろ考えてしいまうなぁ・・・


ではまた