作法か 法律か

 


 

巷の騒ぎ

 

ポン国内では『平成最後の〇〇』がタケナワではなかろうか?(笑)

わが家は平成最後の給料から、つぎの令和初の給料までが、無駄に長い連休のお陰で、

手続きが遠ざかってしまい、困窮の極みの中で仕事をしながら過ごすことになった。

カネも希望もない・・・(笑)

貧しくも、人生の夏休みを気取っていたい私としては、旅行のお客が混雑する時分に

ワザワザ遊ぶなどしなやかでなく、のんびり仕事するのもまた、リゾート生活かな???

 

ノートルダムは燃え、スリランカでテロ、我が国では車の暴走事故。

世のトラブルのほとんどの原因は、ニンゲンの増えすぎよる過密である。

ひとつは、ホモサピエンスの持つ、社会性の限界が根源だ。

それから、人口集中による都市化で、至るところにニンゲンが居る。

縄文早期のころ、国内の人口は2万人程度だったらしいから、さもありなん。

 

南朝鮮の大統領がやってくれた。 カップ麺もこさえられぬ短時間で、首脳会談だ。(笑)

オリエンタル・エンターテインメントとしては・・・ まことに笑えるネタとなった。

おつぎは、北のキムチンがロスケへ。 こちらはエンタメ要素を期待できそうもない。

なぜゆえ、侵略しようとしていた国へすり寄っていくのか・・・ 歴史認識が甘すぎるわい。

餅をクレクレと駄々をこねる姿勢のまま外交、いったいどのような関係を築きたいのやら。

断交せよ!などと声を荒げる国民も少なくないが、ビール業界にとっては痛手だそうだから、

酒のみとしては慎重にならざるを得ない。(笑)

ただまぁ、哀れな隣人を甘やかすのも、そろそろ限界かもしれんなぁ。

戦勝国である米政府の思惑で、仕方なく面倒をみてきたものの・・・

 


 

私がずっと憮然とさせられ続けているのは、ガスコンロの安全装置だ。

アレのお陰で、効率も、料理の美味さも失われた。

 

正直、ガス器具業界は、電機業界に比べると、テクノロジーが低い、かなり低い。

だから、まだしばらくは、安直な安全センサーなどという、不便な装置を許容し続けるしかない。

ロクに鍋ふりもできないようなコンロは、謂うまでもなく不良品のレベルである。

料理を阻害するような機能が安全だ・・・ などとはガッカリしすぎて笑いが込み上げてくる。

 

なら、料理しない方が安全だ・・・ に近づいただけではないか。

と、極論するのは子供じみているかもしれぬが、あまりにもバカげた保護策?は世に多々ある。

このごろは、モンスターなんちゃらが増えたので、加速度的に。

 

我が国には、銃刀法がある。 世界的にみれば、奇跡の法律に近かろう。

武器は当然危険だが、最終的には、自分の身は自分で守るのは、生物の原則でもある。

また、武器には、対人と対外敵の二つの存在価値がある。

武器を見たら、すぐに対人用だと考えるのは早計だ。

幸か不幸か、ポン国内には、殺傷能力の高い生物が少ないから、

ポン人にとって、武器は全てキケンに見えてしまうようだ。

ショットガンをぶっ放したところであ、親ヒグマが倒れることはない程度なんだが・・・

 

危険だからと、包丁をみな短くするわけにもいかないらしい。

しかしながら、ヨーロッパには、小さなナイフでまな板を使わず調理する食文化もある。

包丁は、振り回さなければ危険はなく、燃え広がったりしないから・・・ 許容しやすい。

 

刃物による調理も、火炎によるも調理も、ホモサピエンスより前、はるか昔の人類から

受け継がれた技術である。

単純に、科学によって他の手段で置き換わる・・・ 類いとは趣きが違うのかもしれない。

とはいえ、ノートルダムは、あっけないくらい燃えたなぁ。

火は刃物と違い、もともと自然現象であり、度を越えると災害に至る。

 

テロが起こるのは、ほとんどが宗教信者に起因する。

言い替えれば、宗教はニンゲンを越えた存在を信じ、人命より重い価値観を創作するような

危険な思想集団へ誘導する仕組みである。

なぜそれを許さねばならないのか・・・ 火と同じく、昔からの捨て難い習慣だからだ。

 

自動車はどうだろう。

ポン人は、トヨタや日産が国策で優遇されているので、自動車に絶対的安心感が刷り込まれ

事故は必ず人為によるものだと、最初から信じている。

そのためか、ガス業界が付けたバカバカしいセンサーのような策が、全く施されぬまま

野放しになっているのだが、誰もそれに疑問を感じていない。

あれだけの重さの物体が、高速で移動するのを、のほほんとタダ眺めているのである。

なんとバカげた、いや呆けた現象だろうか??? 武器ではないから、安全らしい。(笑)

だが、自動車の方が、そこらの銃火器よりも、ほよど強力な威力を発揮できる。

 

他方で

人身事故が起こるのは、当然ながら、自動車が走行する方向に人が居る場合で、

居なければ、運転者だけが死傷するのみで済む。

 

信号を守るのは法律で定められている。 んが、守るかどうかは、ニンゲン次第だ。

電車が高架化しているのに、都市でも人車が分離されずに放置されている。

ポン人の尺度は、誰かにとって、かなり都合よく偏っていると思うんだが・・・

 

火も包丁も、武器も自動車も科学も、使い方次第。 使うニンゲン次第である。

 

だが厄介なモノもある。

謂わずと知れた原子力・・・ 熱核反応応用技術である。

太陽をのぞけば、人類史上、もっとも強力な火力ながら、未解決の問題が多すぎる。

察しと思いやりの運用だけで、カバーできる代物ではない。

 

都会では、エスカレーターは走って利用するのはキケンだ・・・などと、

ユル〜いマナー問題が取り沙汰されることがある。

論点が散漫で、なんとも無様な論議やツイートなどが多々あって、見聞に堪えない。

 

問題は、自己責任がどこまでか・・・ であるが、論旨に至る脳力がない場合が多い。

 

あたかも、走るヤツだけがキケンのように謂われる場合が多く見受けられるが、

エスカレーターの危険は、もともと将棋倒しではいのか???

少なくとも、手すりを持つということは、徹底しておいて当然だが、ソチラはどこかへ。

 

ちょっと想像すれば分かることだが、これから高齢者が増え、足元が怪しい人物が増える。

走るのがヤバイのではなく、バランスを崩し、倒れるのが危険の本質。

 

大きな荷物を持っている場合はなおさら危険で、荷物は手を離すと制御できない。

しかしながら、エスカレーターがある施設では、エレベーターは遠くに設置されているか

階段しかない場合もある。

 

他人を巻き込む危険性と、自己責任の切り分けは、さっくりとはいかない。

だが、往々にして必然的に見られる現象が、想像力がない/危機意識が低い人物ほど

他人を巻き込みやすく、また、被害者意識が強いということだ。

 

池があるから落ちる、刃物や火があるからキケン、年寄りは車に乗るな、

子らにはスマホを持たせるな、どれも、巻き込みか自己責任かうやむやで起こる事故。

想像力と自己防衛意識の無さが産んでしまう、悲劇の数々だ。

 

バランスを崩すかどうかは、階段でも同じだが、ここにもまた人口密度が関係する。(笑)

 

ドンクサイし能力の低いのを基準にすると、どんどん社会が面倒で無駄に満ちてしまう。

それらを十把一絡げに、弱者の救済と謂うには、あまりに困難が多すぎる。

 

などとコトバにすれば、差別信者?扱いされてしまうような、弱者狂信社会が恐い。

だが、現実は恐い社会になりつつある。 救済と甘やかしは違う。

 

私は摂理信者?だから、その点では最右翼なんだろうが、弱者を切り捨てることが

強者を残す最善策・・・ などと短絡しているワケではない。

ただ、優先して守るべきは誰か、は判断すべきと信じている。

救助トリアージのような概念だ。

子や、子を産める女性は優先すべきであり、命の重さではなく、民族存続における重みを

秤にかける必要があると思っている。

だれもかれも救おうとして気負って、もろともに死ぬ、あるいは生き残っても禍根を残すのは

本末転倒以外のナニモノでもない。

 

このごろ最も危険なのは、災害が起きそうなときに、いつ逃げたらいいか教えろ、というもの。

そんなことは、遠視脳力でもない限り、現場にいなければ判るワケがない。

いや、それは、この話題の論点とは異なっていて、実はそのような被害者意識の強い人物は、

いつまで逃げないでいいのか教えろ、と述べているのである。

基本は、避難しないスタンスなのであるから、いかなる情報を出しても、おそらく逃げない。

無論、甚大な被害が目前に迫っていれば、もはや手遅れな状況でしか、確度の高い情報は

提供できない・・・ ことも、想像できない人物でもある。

このような感覚では、助かるべくして助かる人物でないことは明らかだ。

 

天災に対してすら、自己責任、および自助努力をしない国民が増え、ますます情報だのみに

偏重するポン社会は、かなり間違っていると思う。

激甚災害が迫る時、情報を伝達するインフラが断絶しやすいのは自明の理。

だが、それすら想像できないポン国民が増殖し続けている。

  

ともあれ

被害者妄想が暴走する社会では、法の縛りが厳しくならざるを得ず、縛りは増えるばかりだ。

もともと日本人には、永きにわたって培ってきた、掟や躾けがある。

 

しかしながら

総理をはじめ、親にしても、年長者が叱らなくなった。 なにかにつけて叱らず、遺憾。

あまりにも往き過ぎた左翼思想とも思われる弱者/被害者優遇社会が増長しているから

躾けすらままならなくなり、挙句、躾けは学校で・・・ などと平然と述べる親も続出。

 

自律、自制、自己責任は、ニンゲンの社会性の基本だろう。

ゆえに、マナーを押し付けたり、一律に判断基準を設けるのでなく、寛容さ、柔軟性こそが

ポン人らしい、垣根の少ない社会を続けられると思うんだが・・・

優しさを弱さと踏み違えた挙句、強きをくじきたがる弱者が多すぎて、困った社会だ。

まるで、半島民族じみて見えてくる。

結局、東洋人は皆、似たものどうし・・・ ということか。

 


 

私の平成最後の生物ネタは・・・ コレだ。

しょーもないかもしれないが、ベニシオマネキの交尾。

カニの交尾は、意外とレアモノなんだが・・・ 自慢げにモテを主張できるほどの威力はない。

 

時代や年号が遷っても、私は私の、いつもの視点観点で歩み続けるワケである。 

日々、ムフフ感に満ち満ちていることこそ、我が正義。(笑)

 


ではまた