古きを たずね

 


 

哀しい世

 

Aコープの品ぞろえが、また減った。

貧民ぞろいの島だけに、仕方ないのだろうが・・・ ドライフルーツのイチジクやラズベリー、

アプリコットが姿を消してしまった。

もともと乳由来の生クリームが、ホイップクリームだと信じられていたような土地柄だから、

仕方ないのだが・・・ どんだけ貧相な食生活なのだろう。 まともな魚も流通していないし。

キャビアの食べ比べとか、デパートの食品売り場で焼きたてカリカリのバゲットを求め、

坂道を帰りながら、つまみ食いしていた時分が懐かしい。

 

朝鮮半島では、戦犯ステッカーなるものを貼り付ける法案が提起されているという

お粗末なニュース報じられた。 ナンという資源と熱意の無駄づかいだろう。

何年前でも、罪は罪だ・・・ しかし、あれだけ蹂躙され、金品のみならず数え切れぬほどの

美女を貢いだり、椀を持ち上げることもできぬ犬食い習慣を押し付けられてきたにもかかわらず

宗主国さまには全くあらがう気すらない様子は、なおお粗末である。

 

宮古島へ陸自が展開するのに際し、やはり拒む住民運動が起きている。

いつの世も、左傾の危機意識の無さは笑うに笑えない。

島が軍事拠点化することで、狙われるという論法だが、有人島が攻撃される時点で、

宣戦布告なのだから、軍事拠点云々の問題ではないんだが・・・

宮古諸島と沖縄諸島の間がガラアキで、宮古島を落とせば、そこから西は自動的に

占領されたことになるから、目の前の尖閣を足掛かりに狙われるのは、まず宮古島だ。

イザとなればベーグンが・・・とか、利己的解釈の平和を信じきっているのに違いない。

彼らはポン人を守りたいのではない、西太平洋の覇権を守っているだけだ。

少なくとも、尖閣諸島、宮古島、多良間島だけ落とせば、中国は西太平洋の覇権の半分を

手にすることができるのは、自明の理。

 


 

ところで

強風、雨の少ない曇天、急な冷え込み、風が冷たく日差しが熱い晴れ間・・・ 厳しい春である。

昼間だけでなく、夜間の気温差も激しいから、布団の切り替えがままならず、風邪をひきやすい。

13℃まで下がったり、20℃だったりするから、周囲には風邪をひくシマンチュが絶えない。 

 

非情に暗い曇天は続くものの、私が移住したころに比べたら、雨量はとても少なくなった。

かててくわえて、三日に一日は、平均風速が10メートルを超える。

PM2.5の影響が濃くなったらしく、いつものどがガラガラで、大気が臭うことが多くなった。

せっかく空気が澄んだところに住んだはずなのに、厄介なことだ。

 

 

さて

このところ、教育委員会の仕事を面白くするのに、幕末から明治に残された文献を眺めている。

南島雑話と徳之島事情といい、前者は奄美大島の幕末、後者は徳之島の明治が記されている。

 

もともと

鳥類やアマミノクロウサギについて調べていたのだが、当時の食生活が意外と豊かだった。

無論、奄美大島と徳之島では事情が違うが、今となっては特産品がさっぱりな両島にあって、

昔の食をどうして復活させないのか、不思議なくらいだ。

 

飢饉になったとき、毒のあるソテツの実を食べたことはソコソコ知られているが、

それ以外にも、多様なモノを用いて、飯だけでなく、味噌や醤油、焼酎をこさえていたらしい。

シイの実やテッポウユリの根は、わりと普通だったようだ。

なにしろスダジイのシイノミは大き目だし、島の森の大半がスダジイである。

 

高知にはクリ焼酎、ダバダ火振があるが、シイの実焼酎なら、臭くて不味い黒糖焼酎より、

よほど上品で美味そうだ。 二段仕込みの意味も出ることだし。

 

ほか、塩味がメインだと思っていたが、昔から味噌好きで、味噌漬け好きだったらしいのだ。

意外にも、小麦づくりは難しかったらしいが、大豆は輸入していたらしく、豆腐も作られていた。

 

様々な味噌漬けをこさえていたらしい。

ソーラ(カマスサワラ)は、まるで西京漬けのようだが、イノシシやブタの肉、皮は生で、

イカやタコも煮て漬けたという。

なかでも、茹で玉子は殻をむくと3日くらいが食べごろだといい、殻ごとだと半年はもつという。

酒の肴や、丼ものにして食べたというから、なかなか美味そうだ。

 

今となっては

茶請け味噌という薄味の味噌に、落花生や豚肉などをからめる甘ったるい油味噌が主流だが

昔の味噌漬けの方が、よっぽど美味そうである。

 

内地も、明治から昭和、戦中戦後でずいぶん変わった。 島も同じなのだろう。

ただ、内地は凝る方向へ、島はどうやら易きに流れたようである。

どこぞの半島民族と同じく、長い間、自分たちで考え、未来に責任を持つ立場を離れていた。

マネはできても、本来の目的や意図を理解することはカンタンではない。

 

一般的に

奄美で最も有名な料理は、江戸時代に内地からの役人をもてなした『鶏飯』(けいはん)

と呼ばれる、ぶっかけ飯である。

飯に、鶏肉をはじめ、錦糸玉子や千切りの漬物などの具をトッピングし、鶏のだし汁をかける。

 

だったハズだが

南島雑話には、これっぽっちも登場していなかった。

まだ、2へんしか読み通していないから、見落としかもしれぬが・・・

鶏飯は奄美の島伝説の可能性も、大いにある。

なんといっても、シマンチュも謂ったもん勝ちな風潮が大いにあるから、

後付けのゲンジやヘーケのオチウド伝説、ヤマタイコクだった伝説など、後を絶たない。

半島民族まがいの主張は毎年増えていく感じである。(笑)

 

ひょっとすると、鶏飯は戦後、各種チャンプルーのように、誰かの思い付き料理が広まり、

そこへ後付けの伝説が加わったと考える方が、合理的な解釈ができる。

 

理由は、わりとカンタンに思いあたる。

1)鶏は、世界的に玉子を産ませるために飼育する。

 もとはシロハラやアマミヤマシギを用いたとしても、鳥の肉は足が速く、活かしといた?

2)鳥の肉を、丁寧にほぐして用いるが、そんな食習慣はなく、さらに腐りやすい。

 島の衛生状態は、かなり悪かった。

3)茶は高級品で茶漬けの習慣はなく、わざわざ飯に熱い汁をかける習慣もない。

4)そもそも、出来たてをパパっと食すという、粋な食文化などないし、知らない。

5)錦糸玉子≒薄焼き玉子は、フライパンがないとこさえられない。

6)もっとも美味しかったはずの、味噌を用いていない。

 あるいは島味噌の風味がイマイチだったとして、島の醤油はなおさら不味だ。

7)もてなし料理以前に、美味い料理なら高位のシマンチュも食っていたハズ、

 なおさら記録があるべきだが、どこにもない。

8)ナゼか、他のもてなし料理が見当たらない。

といった感じで、ちょっと考えただけでも、ツッコミ放題である。(笑)

 

ただ

先の玉子漬けなど、塩っぱい食材を丼ものにする食文化は培われていた。

他方で、米は豊かな家の家長のみで、女子供はサツマイモが主食だった。

 

あと

内地人は四つ足を食らうなと禁じられており、鳥をベースとした配慮があった・・・

可能性も無くはない。

 

決定的なことは、今も昔も、偉い人をもてなすのに、未完成の料理を出すことなどアリエナイ。

ましてや、天ぷらにすら味をつけて供するような土地柄で、自ら味を調整する料理など

不自然極まりない。

しかし、冷や汁と冷やし中華の融合のような発想が、どこから来たのか・・・ 謎は深い。

いづれにせよ、昭和30年代、本土復帰以降にできた料理と考えるのが妥当だ。

 

かててくわえて

元祖とされる店『みなとや』が存在し、昭和21年創業とされている。 こりゃもうトドメ。

粗末で未完成なぶっかけ飯が、もてなし料理などという事実がなくて、ホッとしてみたり。(笑)

 

料理は、歴史のあるなしではない、美味くてナンボである。 残念ながら・・・

 

 

食の話題はさておき

奄美大島にはオオコウモリ≒フルーツバットがいたとも記されている。

エラブオオコウモリなのか、オリイオオコウモリなのか判らないが、いたのだ。

大きさはイタチの如しとあった。

2013年、沖永良部から渡来したらしい、新鮮なオオコウモリの死がいが町内で見つかった。

徳之島にも渡るくらいだから、奄美の島々に居たのは当然だろう。

 

自称、レジェンドブレーカーな私だが

生物に関しては、不可解な事柄が多いのが徳之島の定石のようなもの。

周りの島に生息しているのに、徳之島には住んでいない生物がいくつもある。

ちなみに、クロウサギ類の化石は沖縄本島でも出土している。

では、ナニが生息していないかといえば・・・

1)シリケンイモリ

2)リュウキュウアオバズク(奄美大島以南の留鳥)

3)ルリカケス、オーストンオオアカゲラ、オオトラツグミ(奄美大島固有)

4)アオミオカタニシ(沖縄島以南)

などである。

 

ルリカケスが生息していたらしいことは、地元の猟師の証言があったのだが、

シリケンイモリやアオミオカタニシについては、一般的に水稲を止めた昭和50年代に

絶滅してしまったという憶測がなされることが多い。 私もそう思ってきた。

 

んが・・・

シリケンイモリの骨格は残りようがないものの、アオミオカタニシの殻なら残るはずだ。

だが、島の遺跡から出土しているタニシ類の殻のなかには、一切無い。

縄文時代は、田がないのでタニシはごくわずかだったのだろうが、カタツムリまがいの

オオヤマタニシなど、陸生のタニシが生息していたので、カナリ食べていた。

海生の貝をほとんど出土しないが、オカタニシ類はクロウサギやイノシシの骨と同様に

ごっそり出土するのである。

食べていずとも、残飯などにやってくるから、ゴミ捨て場から少数は出土すると思う。

絶対食べないし、森林産の毛むくじゃらの殻を持つ、ケハダシワクチマイマイの殻なども

出土するくらいだから、出ないはずはない。

無論、オオコウモリも出土しても不思議ではない。

 

のに・・・ 今のところ見つかっていない。

 

 

薩摩でもない、琉球でもない、奄美のアイデンティティの記された、数少ない書物。

せめて、島の小中学校の副読本くらいになっていても、不思議はないのだが・・・

 

ただまぁ、たいがい悩ましい内容も少なくない。

イキユンという、白い顔に黒い眉のある美しい鳥がおり、多数渡来すると大漁になるという。

フォルムはまるで、白い鳩か鵜のようだ。

描写は無駄に細かいのだが、カタチはさっぱり信ぴょう性がない。

他の獣の図などからも、容易に想像がつく。

 

あれこれ悩んだ末、答えは可憐な白いアジサシ、エリグロアジサシと判った。

徳之島では繁殖していないが、10年前に近所で繁殖しようとしたことがあった。

翼を広げたところはドバトくらいだが、ホッソリして小さい。

だいぶ絵図とは異なるが・・・ 古記録とはそういうもんだ。

 

左様にして、解釈意訳を相当練り込まなければならないのは、否めないものの、

将来の自然保護や文化をどうするかも含めて、知っておくべき情報に満ちていると思う。

 

おそらくそれは

著者が流人の薩摩藩士だったことはさておき、内地からやってきた人物が記したからこそ、

客観性があり、アイデンティティを際立たせている。

 

徳之島事情は、まだほとんど読んでいないが、ルリカケスらしい記述がある。

 

いづれの文献も、信ぴょう性については、怪しい部分も少なくない。

しかしながら、失われたかもしれない生物や文化については、知ることができる。

 

私はこれまで、これほど過去を知りたいと感じたことはない。

平成最後の、心境の大変化・・・ とか?(笑)


ではまた