激しくも 地味な春

 


 

大きな嘘はバレにくい

 

景気判断の賃金がインチキ調査に基づいていたとか、911が自作自演だとか、

あまつさえ気まぐれなボンちゃん大統領当選は、情報操作などなど・・・あまりに大きい

ハカリゴトは、どうしても自分たちの世界を信じたいあまり、疑うことができなくなる。

沖縄戦の犠牲者より、薩摩藩による奄美の砂糖地獄の方が苛烈だった・・・とかも。

お隣の半島のように、嘘と事実の区別が、ほとんどない民族もあるようだが・・・(笑)

敵前逃亡するのが理想の歴代ヒーローだし、ムン大統領もどうなることやら。

 


 

例年なら10℃を切ることもあるが、そのようなこともなく16〜22℃くらいで助かった。

しかしながら、中途半端な気温だから、冬物でも夏物でも合わない。

かててくわえて、太陽の角度はキツくなったものの、気温は据え置きである。

日が当たれば激暑となり、陰れば寒くなる。

急に南風が吹くと生暖かくなり、のちに雨が降る。 雨は寒冷前線で、また寒くなる。

三寒四温と謂うより、三寒一暑が続いている。

 

もうすっかり桜の季節は去ったが、ヒザクラの名所、上名道森林公園の看板が完成。

水平が出ていないのが、島らしい施工だ。 名物と謂ってもいいだろう。(笑)

下地が白というのが、イマイチ芸がないのだが・・・基本的に地図だから、手を打った。

そのうち、私の関わった看板を一覧できるようなマップでも、こさえようかな。(笑)

 

春の渡りは始まってるが、周囲の島に飛来している名物?ヤツガシラは飛来していない。

実に地味なシーズンとなっている。

このところ、ハクセキレイをはじめ、セキレイの類いが見られるようになった。

 

地味なセキレイ、タヒバリ類は警戒心が強いのだが・・・

渡りのためにナリフリかまわず、運動公園で採餌するようになっている。

 

一見ハクセキレイだが、目元が涼しい。

ホオジロハクセキレイは、ちょっとした珍鳥である。 9年ぶりになる。

ユーラシアの内陸部で繁殖する亜種で、カスピ海周辺のタイリクハクセキレイに近い風貌だ。

 

マミジロタヒバリもセキレイの類い。 この一週間でめっきり見られなくなった。

徳之島空港を中心に越冬しているから、接する運動公園でもよく見かけていた。

一足先に大陸へ帰ったんだろう。

 

内地のムクドリとは趣きの異なるカラムクドリ。 そろそろ渡る時節を迎え、活発に。

ホシムクドリもそうだが、国内的には珍鳥で、石垣島が有名どころと謂われつつも・・・

実はわが家の近所でも冬の定番で、知名度がサッパリなお陰で見放題という有り難さ。

越冬中は分散しているものの、春になるとゾロゾロ見られるようになる。

ちなみみに、9月中旬に飛来したころは40羽くらいの群れだが、越冬中は数羽に分散、

春になるとまた集まってくる傾向にあるらしい。

 

そういえば、ホシムクドリはここ2週間ほどの間に中央アジアへ帰ったらしい。

遠くて不鮮明だが、クチバシが黒から黄色へ、目立っていた全身の金色の星模様が

すっかり小さくなっているから、夏羽に換羽している。

この姿が国内で見られるのは、とても稀なことだ。

これを見たカップルが結ばれる、などと霊験あらたかなラッキーに恵まれそうなくらい。

 

イノーに、地味で見分け辛いシギが飛来。

撮影中は、てっきりアカアシシギと信じていたが、画像チェックでクチバシの長さに気づき

ツルシギだったと判った。 歳かなぁ・・・

こちらは6年ぶり。

 

釣りに赴いてみるものの・・・潮が動いていないのか、腕が悪いのか・・・

チッコイのが掛かる程度で、ボーズも頻発。

魚を口にする日は、まだまだ遠そうだ・・・

 


 

ところで

ふと気づいたことがあった。 きっかけは、トムヤムクンヌードルだった。

酸っぱ辛いミョウチキリンな風味に、パクチーとショウガを加えて食べるのが好みだが

なぜ、そんな顛末になったのだろうか・・・

 

というのも

この冬、伊勢に帰省した際に食べた、おふくろ様の料理の香りが薄いと感じたからだ。

自称、嗅覚が鋭敏な自分にとって、ショッキングな出来事だった。

 

このところ春になり、いきなり家の中が、ヤモリのフン臭くなってきた、のもある。

 

前々から、島はウンコ臭さやカビ臭さに満ち満ちていると記してきたが、対抗するように

料理に用いるスパイスが増え、使用量も増えてきたことは間違いない。

 

究極的にスッキリ風味である、ツバメコノシロのタレは、もちろんクドいのはダメ、

しかしながら、なぜか内地的なスッキリな味わいも、全然ダメだ。

 

これらを総合しつつ

アジアの不衛生な地域ほど、とんでもない臭気のスパイスを多用する事実を鑑みるに・・・

臭い環境では、それとは別の方向性の香りを食事にプラスすることで、

食欲を催しやすくなるのではないか、と気づいたのである。

 

つまりこう。

食品が劣化することや、環境が臭いことには共通点が少なくない。

その臭さの中で生活しながら、食事をしようとすれば、自ずと臭さの差別化が必要で、

食事には独立した臭気を付加したくなる  んじゃなかろうか・・・? と。

 

酒にしても

わが家では、伊賀の銘酒である義座衛門の風味がまったく美味しく感じないことや、

低温蒸留の里の曙では物足りなくなり、臭めの黒糖焼酎をブレンドして飲むようになった。

 

体質的に? 臭い環境が、生活のデフォルトだと考える方が、合理的な現象ばかりだ。

だからといって、いかなる臭さにも対応できるワケでもなく、慣れている臭気だけだ。

 

ポン人ならではの、素材の風味を活かすには、清浄な大気と、清潔な環境が必要だった。

さらに他民族のニンゲンや文化をぶち倒せといった、民族主義が薄いことも幸いしている。

もちろん、レイシズムも。

 


ではまた