味のない 野菜を売る社会に

 


 

巷の厄

 

ダーダー与党は、なんとかその威信を保つべく、働かせ放題法案を通したい。

そもそも、労使関係が欧米と異なる我が国には、合わない夢想論だ。

設定される労働の質、量が一定しないし、合意でなく経営者による一方的指示だからだ。 

指示は契約ではない。 社会主義同様の労働しかしない役人には、理解不能な領域だ。

口利きに隠蔽、もう少し上手にやったらどうだ・・・与党が長いと仕事が雑になるのか、

あるいは弱体ポン人は、頭も体の一部だから弱くなった・・・ということか。

文句ばかり言っていてもラチはあかない。

同一労働、同一賃金と発せられているが、「同一労働」たるものを明示、もしくは数値化

してもらえれば、私も納得できるだろうな。(笑)

 

気まぐれドナルドと、キムチンの言い合いは続く。

拉致被害者の家族は、本人でもないのに政府へ被害者妄想を萌やし、責任転嫁する。

厄介なのは、自己主張ばかりで、どこにも正しさを感じられないことだ。

誰のためにナニをしたいのか・・・さっぱり判らん。

本来ならキムチンは、同盟?であり、国境を接するチャンやロスケに支援を求めるのが

筋だと思うが・・・何も得るところが無いどころか、借金するら返せない腰巾着に、

支援する余裕など無いのだろう。

現代社会主義の根本は、資源の採掘とコピー商品の安売りだが、どちらも困難な時代。

中華スポンサーに牛耳られているのか、マスコミはそちらにツッコミを入れないらしい。

相変わらず役立たずなのが、南のムンチンだ。

爽やかなくらい股座膏薬を演じ、キムチンに利用され放題、見ている方が恥ずかしい。(笑)

 


 

ところで

この間、地元の磯で釣れないルアー釣りの帰りに、小学生の男子から

ルアーを貸してくれとせがまれた。

私も小学の頃、釣りキチ三平で知ってから、ずいぶん憧れた。

しかし、当時のお小遣いでは、ルアーも竿もリールも買えなかったし、

そもそもルアーを販売している釣具店は、市内にはなかった。

島では、所得が低い上に、高いいし的外れなルアーばかり売られているから、

よほど腕のいい師匠でも見つけない限り、独学は難しかろう。

持っていたのは、安物の投げのセットらしかったが、まともにキャストできていない。

格好つける前に、安物でもそこそこ重りは飛ぶから、練習が足りない。

私はたまたまお古の投げ竿をもらい、そこからブッコミの投げる練習をしたものだ。

 

それに

ルアー釣りはとても消耗が激しい釣りだから、ラインの結びもいろいろあるし、

ルアーの重さによってキャストの仕方も違うし、他の釣りよりもアレコレ厳格だ。

失敗してルアーを無くす悔しさを乗り越えるだけの、財力も根性も必要である。

 

ソフトルアーなら、価格的にも釣果的にも、おそらくソフトランディングできるが・・・

島にはまともなソフトルアーのタックルなど、販売されていない。

かててくわえて、やはりルアーといえばサカナの形をした、キラキラの物体を

沖に向かってぶち投げる・・・というのは最初のイメージだろうから、

最初からソフルアーというのは、憧憬的にいまひとつである。

 

エサが無くても釣れるが、そのぶんハードルがどんだけ高いことか・・・

といったわけで、わりとアッサリあしらっておいた。

 

ただ

こうした子らの憧れを無にしないためにも、安くて手軽で、南国らしいヒラアジ釣りが

できぬものか・・・と研究は続けている。 メーター級のダツも捨てがたい。

 

とにかく、南国だ。

掛かったらデカい、そこが悩ましく、またロマンがある。

釣れてしまえば、ソフトルアーだろうがハードルアーだろうが関係あるまい。(笑)

 


 

ところでところで

きのうは伊仙町で会合だった。

平成30年度 奄美群島文化財保護対策連絡協議会・研修会。

奄美群島の文化財の関係者が一堂に会する場である。

 

懇親会の段取りはキッチリだが、会合の段取りはダメダメだったから、吠えまくってきた。(笑)

 

システムコンサルタントからすると、実にたわいもないテーマ。

日本遺産に奄美群島の文化財を登録しようとしたら・・・蹴られたから、知恵を出せという。

しかし、他の日本遺産の例示すらないのである。

会長のノブヒロさんは恩人なのだが、もっとキレのいい頭脳の持ち主だったハズであった。

企画課長として、らつ腕を振るったこともあった。

やっぱり歳かなぁ。

 

沖縄も奄美も登録されていない。

もともと日本遺産とは、海外向けにニッポンらしい雰囲気を重んじる。

そうなのだ・・・さっぱりニッポンらしさがない、根本的に。(笑)

 

ただまぁ、それを謂っちゃぁオシメエ・・・なので、いろいろかき回してみたのだ。

観光、食、ガイド、ストーリーづくり・・・すべて、私がずっと取り組んできた内容であり、

そこらのオジサンオバサンの思いつく程度の案なら、私がとっくにやっている。

 

遺産の審査において、担当者に放たれたセリフは、「死ぬ気でヤレ」だったそうだ。

すげ〜、よほど粗悪な資料に、腹に据えかねたのに違いない。

ぶっちゃけ、シマンチュの頑張りは、ただの瞬間風速で努力というには程遠いから、

死ぬ気くらいなら、ようやくフツーの頑張りだ。(笑)

 

資料はただのコピペの羅列で、まとまってはいない。

それでなくても島々をまたがっている遺跡の数々を、位置をプロットした地図も添付しないで

堂々と提出したのだから・・・ 説得どころか、説明資料にもなっていなかった。

目を通す方としては、苦痛以外のナニモノでもない。

 

そのくらい判れよ・・・

 

審査員どころか、旅行客の立場にも配慮できない、己の事だけ考えるのが精いっぱいな

民族性と脳力なのである。 一事が万事、この調子。 自動車の運転も然り。

 

料理で例えるなら、カレーを注文したら、

皿の上に、こくまろカレーのルーとイモとニンジンとタマネギと米が乗って出てきた感じ。

担当者がきっちりと調理を学んで、料理すべきだったのを、右から左へ流した。

死ぬ気でヤレというよりは、むしろ母ちゃんの腹から出直してこい、に近い意味だろう。

 

旅には癒しであれ、風光であれ、感動が必要だ。

つまるところ、お客さまの想定の、斜め上を行く要素があって当然・・・だと解かるためには、

砂糖地獄と同じくらい、300年くらいかかりそうだ。 「おもてなし」とは、そういうものだ。

 

ただ・・・ 南国の民族が、感動を認識できるかどうかも、実に怪しい。

仕事に明け暮れることもなく、その日を楽しく生きることに専念するのだから、

別に癒されたいなど感じない民族だ。

大枚はたいて旅をする連中など、天蓋の上のこと。 感覚の外側、異世界だ。

 

そういえば

南大東島での感動は、釣った魚が美味かったことと、ホテルになった吉里会館に

生ビールのサーバーが配備されたことだったなぁ。

離島は不便だからこその感動もあるのだが、奄美群島は家電量販店、コンビニ、スーパー、

ホームセンターがあって、かなり利便性が高いから、離島らしい雰囲気そのものが薄い。

その利便性が、なおさらシマンチュらをユルユルにしてしまっているから、タチが悪い。

 

会合弁当。

お茶付きで600円、新鮮なものがほとんどなく、右上のわずかなキャベツのみ。

どれがメインのオカズなのか判らない、明らかに、ありもんでこさえている。

右の中段にあるのが、油味噌の一種、地豆味噌。

落花生を油で揚げ、茶うけ味噌で練ったもの・・・ほか、飯の量が多いのが島らしい。(笑)

焼き物の設備を入れることは稀で、魚は揚げ物に限られる。

 

沖縄は、意外と飯が不味い土地柄であるが、知られていない。

雰囲気で食べる女性にとっては、味なんぞ雰囲気でなんとでもなるからだろう。

半端に異国情緒があるから、調理法が違うのか、イイカゲンなのか判りづらい。

国内で最も料理人の賃金が低く、志が醸成されない土地柄。 それと同等なのが奄美だ。

 

そうえいば以前

ウチナーンチュが、町内の飲食店のポークチャップが、沖縄より美味しいと謂っていた。

そのお店はこの頃繁盛しているのだが、レベル的には大阪の大衆食堂にも及ばない。

飲酒運転OK?なロケーションに移転したのが、ヒットの原因だろう。(笑)

 

ちなみに

そのウチナーンチュは、ピラフが炒めたご飯だと思っていた。

 

そういうクオリティの社会で、地味で案内板すらないような遺跡を羅列しただけで

遺産化しよう・・・などと念じるとは、ハードルが高いというより、よほどの奇策でもない限り、

まったく不可能である。

 

私なら、知人の本物のノロに診てもらい、その方に案内について相談し、

巡ると霊的なパワーを高めて、感覚がシャープになるルートを設定してもらうことだ。

真のパワースポット巡りである。

 

本物のノロは、私たちがカミと呼ぶ存在と話したり、時間を遡って昔の人と話す。

まだ歴史の浅い科学では、理解できないことは山ほどある。

私が日常的に用いている、クラ≒気すら解明できていないではないか。

人類の科学なんて、まだまだ知れている。

 


 

Aコープの、よりどり10コ100円に釣られ、ピーマンを買った。

島の農協の特売で、まともなモノを期待するのはウカツなのだが・・・ 春菊以来、

緑の野菜をほとんど食べられなかったから、思わず買ってしまった。

 

やや硬いが肉厚で悪くない。 さっそくチンジャオロウスー風に。

豚タンは旨味が少ないので、オイスターソースを用いたのは正解だった。

夢中で食べたのと、酔っていたので味を感じなかった。

 

あくる昼、ゴマ和えにしてみた。

すると・・・ 味が無い。 あの嬉しい苦味がなく、硬く乾いたキュウリ皮のよう。

品種改良で、味を無くしたのかもしれない。 世の中、どうかしている。

味がない、個性がない食材に、何の意味があるのだろう。 栄養価まで怪しげだ。

お得意のタレ文化で、何にでも変身されれる・・・とでも夢想したか???

もとより、農家や漁師は、頭の良い、感覚の鋭い人物がなることはない職業だが、

ここまでダメが浸透すると、食そのものの在り方が怪しさ満載である。

 

遺産となった和食は、季節感や素材の風味を重んじると謂うが・・・

ハウス栽培と、品種改良で、見る影もない。

 

くれぐれも、イチイチうるさいオッサンになったなぁ゛〜 ワシってば。 (笑)

 


ではまた