味 その重み

 


 

「やはり」という言い回しは、自信がないときに自分に言い聞かせてしまうコトバ。

やはり日産のウソツキ会見でも、開口一番、飛び出していた。

 

自慰眠党は、やはり国を守り抜く(モリトモとかカケイとか忘れて・・・)というキャンペーン。

だらしない首相、だらしない党首を宣伝し倒して見せた。 悔しくも、プッと吹いてしまった。

しかしながら、我ら貧民ラストな政策都筑で、つい笑わされた自分が腹立たしい。

 

メリケンは、ユネスコから脱退すると表明した。

ついでにポン政府も相乗りする姿勢を見せているが、やはりソチラは嘘だな。(笑)

ただ、私はユネスコなんぞに価値観をゆだねるのは納得いかないから、別に脱退で好い。

 

メリケンのヘリが落ちるのは仕方ないとして・・・百里のファントムの発火には驚いた。

ってゆ〜か、F4がまだ現用ということ、とてもクセが強く、重い戦闘機だということを思えば、

よくもまぁ、現代まで運用したと褒めてあげようか。

 


   

以前、旅行の友という、ふりかけの元祖をAコープで見かけた。

ずっと入荷していなかったが・・・ようやくまた。

 

太平洋戦争で、南方で駐留する日本軍では、漬物も味噌すらも腐ってしまい、

保存が利く食糧として開発されたのだとか・・・ ふりかけに、重々しい過去があったとは。

戦地でも栄養豊富な食を願って、思索をめぐらせた結果だという。

旅行とは、戦地への赴きの意味かもしれない。

 

確かに、この頃の軽く、派手な風味のふりかけとは、一線を画す重い味わいがある。

百年の歴史は、ダテではなさそうである。

 

ずいぶん久しぶりに、試食会に赴いた。

 

そうなのだ、島に残るシマンチュは経験の巾も奥行きもなく、当然ながら味覚も乏しい。

子らがそのまま母親になり、その味を担っているのだから、島外のニンゲンに合う料理は、

滅多にない・・・ と謂っていいい。

肴としてなら、私でも十分いただけるものの、オカズとしては美味しくはない。

料理教室で、ゴーヤチャンプルーに砂糖を加えるよう、指導するほどの甘党が常識の社会。

麺つゆを多用する内地の手抜き主婦であっても、ナンボなんでも砂糖は加えないと思う。

ちなみに、鹿児島の麺つゆは、関東の倍は甘く感じられ、尋常な味とは思えず、

とてもではないが、ストレートつゆなど食えた代物ではない。

 

シマンチュは、化学の旨味とともに、砂糖を多用する食文化?に侵されてきた。

もともと、窮めて易きに流れやすい民族性なので、仕方ないのだが・・・

実際、その食事を食らわされている男子は、次々に脳梗塞で死ぬるか半身不随が多発。

背景には、漁民があまりに漁が下手で魚肉が乏しく、安易に三枚肉ばかりを食べる風土がある。

酒、タバコ、砂糖、甘さによる塩分過多、脂肪の多い肉と揚げ物の多用など、時代逆行食だ。

肉が高いからと玉子も多用するから、なおさらだ。 おにぎりは海苔でなく玉子でくるまれる。

それらを超加速させるのが、高齢化。

柔らかくて、昔食べられなかったコテコテの料理+舌が鈍って濃い味になっている。

さらに、酸味を極端に嫌い、腐っていると食らわないジジババも多い。 ただの好き嫌いだが。

それらを担わざるをえない子々孫々の同居家族も、同様の食生活に陥ってしまうワケである。

 

 

それらを踏まえ・・・観光客をもてなすための、喫茶メニューの試食であった。

思いのほか、島の食はイロンナ意味で重い。

 

 

「茶処あがりまた」 本格料理は無理とみて、最初から引き気味なのは、賢明な選択だ。

運営するのは、ばあちゃんか、ひーばーちゃんたちだ。

といっても島は結婚が20台前半だから、内地よりは一回り若く70台ひーばーちゃん。

 

メニューは、とても島らしい、間違いのない布陣である。

派手さは無いが、かなり考えたな・・・

豚味噌の名に恥じぬ、島ならではの大きな二枚肉(皮つきウデ肉)の油味噌。

じゃがいも餅をアレンジしたらしい、タイモ(水耕のサトイモ)の餅。

タイモは南西諸島では高級品扱い。

沖永良部では黒糖を加え、キナコをまぶした昭和アレンジで、お供えにするらしい。

茶色のは、黒糖の蒸しケーキ、ソーダ餅。

ヨモギ入りで緑の、沖縄のサーター・アンダ・アギー(砂糖油揚げ)=島ドーナツ。

ソーダ餅にしろ島ドーナツにしろ、島ミカンの皮をなどを加えたり様々な派生がある。

白がまぶしい、ピーナッツ豆腐。 落花生は島でも栽培されていて、日常的な食材だ。

敷いてあるのはサネンで、ゲットウもしくはアオノクマタケランの葉、香りが好い。

外でお弁当を広げるときは、今でもコレで食べる高齢者は多い。

 

とかく、味覚に確かさがないシマンチュがアイデアを凝らすと、ロクなことはないので、

正しい島料理の在り方で攻めるのは、意外なほど正しくて、食べやすいメニューだと思う。

というか・・・これはオカズとかご飯でなく、オヤツ/間食なのが徳之島らしい。

さながら、炭水化物祭り、あるいはカーボパーティか。

 

問題は、その甘さ。

 

緑の島ドーナツも、茶色のソーダ餅も、かなり甘さ控えめで、いささか驚いた。

どうやら、そこそこ腕の立つ知的な奥さまが調理に関わっているようだ。

試食まえの説明で、お歴々は寝たり、気が遠くなったり、ばあちゃんたちも顔が曇っている。

マイクをもったリーダーのばあちゃんは、おそらくソコソコの知識と経験がある常人で、

島に残ったシマンチュは基本的に脳力が低めだから、こうした解説を脳内に納め辛い。

若者たちは、大正大学からやってきたらしく、興味深く聞き入っている。

退屈な講義よりも、ほよど面白いことは間違いない。(笑)

 

甘さ控えめなのは好感が持てる。 ピーナッツ豆腐には、もともと塩気も甘味もない。

タイモ餅もほのかな甘みだけ。  なのだが・・・ピーナッツ豆腐のタレも甘く、

豚味噌はいつものように強か甘ったるい。

 

すなわち

結局のところ、ぜんぶ甘い・・・

 

プレートは、甘いか塩っぱいかだけで構成されていて、酸味、ピリ辛、苦味はない。

これこそがシマンチュの味覚の狭さであった。

自称、料理上手な奥さまも多々いらっしゃるが、甘さを引き立たせるために塩をひとつまみ・・・

すら知らないことも多いので、甘さに対する考えの甘さもヒトシオだったり。

 

2週間もシマンチュのご飯で生活していると、不味くはないのに吐きそうになる原因である。

漬物も汁物も醤油すらも・・・ナンデモかんでも甘いし、工夫も薄く変化に乏しいのである。

不味くはないのに、体が飽きてしまい、拒絶を始めてしまうのだ。

 

逆に言えば、シマンチュはそこらへんの味だけで、じゅうぶん変化を感じられる・・・のだろう。

連日、みたらし団子の食べ歩きができる人物、のような存在感。

 

シマンチュがこさえる酢のものは、とても甘くて、くちびるがベタベタするし酸っぱくない。

自称ピクルスは、甘酢漬けをオシャレに謂いかえたものだから、保存が利かない。

子だくさんもあってカレーは甘口が好まれ、レトルトの辛口は売れ残り特売される・・・土地柄だ。

先週の記事に載せたが、ラーメンまで甘いのだから、筋金入りである。

 

ここがニッポンなのか? と思われるほど、かけはなれた味覚を有する、徳之島のシマンチュ。

おそらく、鹿児島本土も似たようなものだろうが・・・酸味や辛みを嫌い、

きわめて甘党な鹿児島人のみを選抜したような民族である。

 

常人的、知的リーダーのはからいだろう、ムジの酢味噌和えが出てきた。

発音は、Muji でなく Muzi に近い。

珍しく、そこそこ酸味がある。 からか・・・シマンチュにはサッパリ人気はないようだ。

ムジは、タイモなどの葉の茎、つまりズイキで、味はほとんどない。

スカスカでシャリシャリの食材であり、単体では成り立ちにくい、ハルサメのような食材。

施肥も豊富で水耕栽培のためか、アク抜きや筋とりも必要なく、昔よりずいぶん楽である。

炒め物、煮物のかさ増しなどに適しているうえ、カロリーは低くビタミン豊富。 しかも安価。

地味に素晴らしい食材であるものの、私も活かし方には苦悩し、マリネやカレーにしたが、

水っぽい料理になってしまって、素直なわりに難しい食材であった。

 

お祝いなので・・・と、赤飯が出てきたから、さっそく二枚肉の豚味噌でいただくことにした。

一応、口ではウンメ〜と発音した気がするが、思いのほか甘く、のみ込むのにやや苦労した。

無類の赤飯好きの私が、赤飯が辛くなろうとは・・・

ちなみに、こわさといい、小豆のホクホクといい、赤飯としては絶品の部類であった。

 

豚味噌は、奄美名物? 茶請け味噌という、内地といささか異なる乾いたモロミ?のような

粒があり、塩分が少なめ、健康的な?味噌をベースにしている。

総じて油味噌。

茶請け味噌を用いた、オヤツ味噌の総称で、もとは厳しい稲作など、農作業の間食用だ。

落花生や鮮魚、貝の身などを油で揚げ、油切りしたところへ茶請け味噌、砂糖をどどんと加え、

ゆるく加熱しながら練った料理である。 メジャーな具材だと、地豆味噌、豚味噌とも呼ばれる。

島口で、アンバミシュ。 ウチナーグチで油はアンダだが、こちらではアンバ。

もともとサラダ油はないから、ラードのことだと思う。

私としては、クージマことヒラザラガイの油味噌が好きである。 手間はかかるが、肴には最高。

 

ただ・・・

教科書に載らない、薩摩藩の黒歴史、奄美の原住民から搾取し尽した砂糖地獄からして

砂糖をガバガバ用いることはなかったろうから、たぶん戦後に産みだされた、

ばあちゃんの甘い玉子焼きと同様の歴史観なのではなかろうか。

 

教科書には、現日本政府のイシヅエとなった薩長に都合の悪いことは載っていない。

そういうのはなにも、チャンやチョンに限った事ではなく、我が国にもドドンとある。

大した産業もない端っこの藩ながら、奄美からの搾取で地力をつけたのが薩摩藩である。

 

ぶっちゃけ、戦時中にちょこっと米軍に蹂躙された沖縄には、ずいぶん手厚く金銭支援があるが、

江戸時代・・・薩摩藩によって、ん百年にわたって生活も文化も虐げられてきた奄美は、

あえて忘れたフリをされ続けている。 ちなみに文化を持たないよう、文献などは焼き払われた。

一応・・・奄振予算というのがあったが、打ち切りになるらしい。

 

そうした黒歴史があるから、奄美が脚光を浴びることは、山口や鹿児島の政治屋にとって、

とても都合の悪い存在でもあって、観光化しないのは国策・・・だろうと思われる。

その意図からすれば、一応奄美群島を含んでいた遺産候補だが、ヤンバルとイリオモテになる、

のが明治以来の正しい国の在り方だろう。

 

ともあれ

茶処あがりまたは、何年もつだろう。

カーナビで行けない当部(とうべ)。

ずっと以前から、案内板を整備してほしいと述べてきたが、今もって実現していない。

シマンチュは自分が満足していれば、他人を思いやることはない。

だから、自分が知ってれば、情報発信などする必要があろうか?と思ってしまう。

 

誰が好き好んで山奥に粗食を食らいに行くものか・・・という、当たり前の考えが出来ない。

東又泉(あがりまたいじゅん)は、昔からの名水とされているものの、

有機物などが含まれていて保健所的には飲用不可である。 加熱しないとダメなのだ。

クロウサギが多いので、夜ともなればそこらに出没するのだが・・・

 

ひとつだけ世界に誇る産品?があるのだ!!!

ここのオキナワウロガシのドングリは、地味にファンが多い。

通常なら縦長なのに、ここのは極めつけに丸っこくて、奇跡的に高さより幅の方が大きい。

まるで・・・ 絵本から抜け出たような姿なのだ。  (まるで、はダジャレではない)

内地のクヌギと違って、キチンとドングリらしい帽子をかぶっていて、ひときわ愛らしい。

青いのは、若い実が落ちていただけで、フツーはきちんとこげ茶色である。

 

観光マップに載せておいたら、金を払うから送ってほしいというお客もいるくらいだ。

ドングリの販売もさることながら、このところ実らなくなっているから、

まずは苗木を増やして植樹することも肝要だろう。

戦時中ほとんどの木が伐採されて、戦後育ちではあるが、精力が衰えている木もある。

こうした 「形質を残す」 ことも、大切な観光資源保護だと思う。

ウラジロガシ公園をこさえ、ドングリ拾いできるようなら、子らにも人気が出るだろうし、

こうした産品ならば、安定的に続けられる可能性もなくはないと思う。

  

先のヘビーなオヤツにしても、本当に昔からあるものは、おそらく一品もない。

甘ったるさも含めて、すべて戦後のモノだ。

だからといって値打ちがないわけではないが、シマンチュが失敗しないような料理だから

難しい料理は一切ない。 他方で、とても手間がかかる料理は他にも多々ある。

 

狭い社会に慣れ過ぎたシマンチュが、客観性を得たり、集客アイデアを出すのは極めて困難だ。

文章表現も、カメラ撮影も疎いから、情報発信すらロクに出来はしないのが実情だ。

ならば、島文化をトランスレートする人材を育てるのが手っ取り早かろう。

地域おこし協力隊の若手が、どこまでやれるか期待しておこう。

 

鮒ずしや、くさやが変わらぬように、変わらぬ方が値打ちがある産品もある。

化学によって最悪になった辛子明太のような駄土産も、壊れ舌のポン人に親しまれている。

 

いづれにしても、やはり地元以外にファンがいてこそ・・・である。

 

脂っこくて、不健康なオヤツを売りにすることができるのか・・・

逆説的で、反面教師的な地域おこしとなるのか、とてもビミョ〜な試食会であった。


ではまた