うまけりゃ いいのだ

 


 

今風の世

 

半島南部の新たな首長は、遠ざけるゴールを、どのように利用するのだろう。

恥も外聞もなく、ベトナム戦争の慰安婦問題やら、コピノ問題を棚に上げて・・・

挙句の果てに、国連機関を騙って情報をねつ造した。

反日がなければ、やる気のない民族をまとめる術がない。

つまり反日崇拝とも謂っても過言ではない。

恵んでもらったものを、自分たちが獲得したと思うようでは、実力はつかない。

 

ルテルテちゃんは、すりよったチャンから、南シナ海で資源を掘れば戦争だと脅された。

南国のニンゲンというのは、読みが甘いというより、読まない、読めないものだ。

その場限りの出たとこ勝負と思っているようだが、北方の計算高い民族をナメすぎだ。

自国の公害すら抑えられぬチャンに、到底正論は通じないし、不利益ならなおさらだ。

無駄に増えた人民には、一グラムでも多くの資源が必要だ。

 

北の新ミサイルは、迎撃が難しくなった。 やはり彼らのミサイルの向きは三沢あたりだ。

知らなかったが、我が国は専守防衛のもと、なんと対潜センサー網を敷設済みらしい。

すなわち、日本近海の潜水艦は、ほぼ丸見えのようだ。

従って、北のSLBMは、自爆以外ならほぼほぼ無効ということだ。

海流に乗って無音で深海から接近し、深々度魚雷で撃沈することは可能だ。

やや漁業に影響が出るかもしれないが・・・

 

一方、チャンも弾道弾や潜水艦を多数に保有している。 巡航ミサイルもあるらしい。

国土が広い分、北よりはるかに自由に撃てるから、厄介者には違いない。

正常に動作すれば・・・の話だが。

 


  

テレビは、ダーウィンが来たしか視ないが、ネットの動画はかなり視る。

このごろ食欲がないから、とくに孤独のグルメとワカコ酒はマメにチェック。

勉強にはならないが、食欲を湧かせてくれる外食らしい風味を思い出させてくれる。

 

というのも・・・島には家庭料理どころか、私の料理に勝る外食は珍しい。

つまるところ、金を払ってまで食べたい食事がない・・・といっても過言ではない。

時に、とんでもなく美味しい家庭料理なんてのに遭遇するのに・・・である。

 

クオリティに頓着しない、わりと純粋に質より量の民族性なのである。

 

というわけで

島では食材はあっても、美味しい外食や総菜を探すのは難しいから、

自助努力の方が早い。

 

私の好みは、島に来てズイブン変わった。

人造風味で食べられなくなったものは多い。

その代表はソーセージだろう。 ハムもだが、ハムは薄切りで気になりにくい。

実家で厚切りのを出されると・・・手を出せない。

無論、人造風味のラーメン、漬物、ポテチなども限界だ。

 

原因は3つある。

1)ウツ持ちだから、嫌悪感がある食品は加速度的に食味を失う。

2)いっとき、ほとんど肉食しなかったことで、天然出汁、化学調味の感じ方が変わった。

3)島の食材は、きちんと選べば品質も鮮度も抜群で、都会では味わえなかった。

 

つまるところ

味覚が幼少時へリセットされたようなもので、何かを食べた時、何の味なのか気になる。

 

手作りソーセージでも、冷凍肉なのか生肉からつくったのか判ってしまう。

市販のものは、それらがわからないように調整されている。

そこへ、ソーセージらしい風味物質が混入され、さらに人造の皮へ流し込んで製造される。 

そのため、原料である肉の風味はなく、ナゾのタンパク質の味しかしない。

まだ、化学まみれでも辛子明太のほうが生臭いし、生の素材感が残存し、ソレっぽい。

 

このごろの食欲不振は、むしろ人造食材への不信によるところが大きいらしい。

なんかこう・・・パチで、わざとらしいニオイに辟易しているのだろう。

 

今年に入って、いささかウツっ気が強くなり、寝込む日がかなり多くなった。

仕事もままならない日々だから・・・非常に貧乏で、まさに赤貧状態なのである。

ウツと謂えど、そういうときこそ、それをバネにすべきだ。

よくこさえるようになったのが、マグロの血合いバーグである。

安いソーセージや焼き豚以外は、すべての肉類がグラム100円を超える島。

そのなかにあって、グラム54円の高タンパク食材である。

なんといっても栄養抜群。 そしてチョイワルくらいが旨味が増す。

更に、たくさんこさえて冷凍保存もできる。

<<<こんがりし過ぎた

血なまぐさいはずだが、慣れたせいか、はたまた上達したからか、気にならなくなった。

 

いつぞやは、チョイワルでヤバそうな生クリームがあったので、加えてみたら好印象。

牛乳で臭みをとる効果と、脂肪が少ないのを補えると想ったら、図にあたった。

 

いただくときは、ちょっとフツーとは違うのに気付いたと思う。

マヨをかけるのはいかにもジャンクフード臭いが、貧民なのだからそれもヨシ。(笑)

存知でないかもしれぬが、もともとマヨはサラダソースでなく、肉料理のソースだ。

カツオ漁師が、刺身にマヨ醤油というのもヒントになっている。

 

いつぞやは

孤独のグルメで見かけたサバのサンドイッチにピンと来て、カンパチサンドをこさえたことも。

焼きでなく、煮付けをほぐしたもの。

男らしく、たっぷりのコショウを挽いてみた。

実は・・・ろくに身のない粗悪なアラだったから、ツマミの煮こごりをとったあとの出汁がら。

捨てるのが惜しくなって、ほぐしてしまった。(笑)

キャベツの下にはマヨがひいてあり、煮付けの醤油味とマッチする。

魚はやっぱりマヨ醤油がよく合う。

このごろの低カロリー食に危惧し、6枚切り1枚の食事から5枚切りにシフトしたかため、

半分にカットしやすく、サンドイッチは楽になった。

 

そういえば

孤独のグルメにでてくる店は、本当に美味しいのか?というネット記事を見かけた。

ん゛〜 どうしてそんなに脳も味覚も足りないのだ?

「孤独」なんだから、他人なんて関係あるか!と毎度オープニングで謂っているのを、

あまつさえ他人に問いかけるなどと・・・ よほど読解力やら味覚が貧しいらしい。

確かにポン人は、誰かの価値観を借りないと生きられない民族である。 

パチ料理のタレ・素・ルーやら、官僚主権、世界遺産しかり。

誰かに、ソレガイイと謂ってもらわないと、自分では価値が判断できない。

 

だが、自分にとって本当に美味しいものは、やっぱり自分で探すか、作るしかない。

でも、本質的にサボりだから、ネットでちゃちゃっと済ませる安いニンゲンは多い。 

 

敢えて謂うが、世界中の万民が好む料理は、存在しない。

かててくわえて、味覚にも、それぞれ個性がある。

だからなおさら、インターネットでそのことを論じるのには、意味が通らない。

 

いやむしろ

どこかの食通?陣営に属していない、無個性な自分の拠り所を探すのには、

安易でよろしい場所なのかもしれないし、傷をなめ合う同胞も得られるだろう。

 

お金を携え、貧民の道楽?みたいなお店でワクワクニコニコしながら注文、

チッポケで、ろくに味噌もはいってない松葉ガニの細い足をせせりつつ・・・

やっぱりカニは美味い! 最高! とか 叫びたいに違いない。

だが、そういうやつに限って、高価なタラバガニを意図的に嫌ってみたりするものだ。

安いニンゲンだから、安いモノにコダワルのは、ムリがなく正しい傾向でもある。(笑)

 

サカシラなやつならば、タラバガニはヤドカリで、カニじゃない!とヘリクツたれそうだ。

けれど、それならば・・・ ヤドカリ、カニ、イセエビの差異より・・・

クルマエビやシバエビがゼンゼン違うことを知っているか、確かめたいところだ。

 

だが、そんな知識は、味覚の自覚さえしっかりしていれば必要ない、ただの雑学だ。

 

このところ

トマトがシーズンイン。 輸入トマトは高いので食べられず、普段はトマト缶。

今年はプチトマトの豊作らしくて、100円で結構な量をいただける。

食える時に食っとくのが、貧民の鉄則だ。

旨味のある野菜だから、甘めの九州麦味噌との相性は抜群で、なん杯もイケる。

 

同じくシーズンのゴーヤと合わせてみた。

鶏セセリから、しっかり脂を炒り出して、野菜たちとからめて仕上げる。

やはり、旨味と酸味がたまらない。 トロっとした食感もいい。

セセリは、しっかり火が通っても、グリッとした歯ごたえは変わらない。

 

バレイショシーズンなら、皮つきでいただくのが定番。

しかも鶏肉バージョンが大好きだ。 滋味がイケル地味な料理。(笑)

さっすがにポテサラは皮つきというわけにもいかぬが・・・

 

先日、実家から宅配が届いた。 宅配が届く・・・という表現はビミョ〜だな。

そのなかにあった、奈良の平たい葛切りが美味かった。

葛切りにはもちろん味はないが、水炊きのシメにと加えておくと、

食べごたえがあるし、つゆのからみが抜群なのである。

マロニー然としたものが多いが、圧倒的にコレが好い

うどんがきしめんになっただけ・・・なのと似た効果である。

 

ただ、毎回薄切りでいくよりも、とっかえひっかえしたくなるに違いない。

 

美味しいから毎日・・・毎回・・・というワケにはいかない。

つまるところ、美味しいというのは実に身勝手で、大好きなのに毎食はムリである。

では、美味しいとは何か・・・味は哲学ではなく生理だが・・・ただの贅沢病だろうか。

 

草食のクセとして、一定の植物を食べ続けると、特定のアルカロイドを蓄積しやすい。

コアラなどは、その逆手をとった動物だが、普通はそうもならない。

あれこれ食べるのは、サル時代の生理が残っているのかもしれないし、

あるいは雑食性という、多様な生物を摂取するため、特定の栄養価に偏らないための、

原始的な仕組みなのかもしれないが、意外に生物は未完成だからなぁ。

 

実はもっと単純な、バカバカしい理由がありそうな気がしないでもない。

薄味だと、ご飯のように食べ飽きない・・・とか。(笑)

量にもよるが、確かにキャベツやキュウリを食べ飽きる・・・ことはなさそうだ。

パンは微妙だが。

 

いづれにしろ、個性で美味しいものは食べ飽きる。

こうなると、食べ飽きないものが、本当は美味しいのではないか・・・とも思われる。

 

真に美味しいとは何か・・・とか追窮するのも悪くないが、もうこのネタは飽いた。(笑)

美味しさは個々人の価値観、と妄信してきた私だが、どうもイロイロありそうだ。

釣り人が釣った魚が美味しいとか、実家の味とか、気分だけで美味しいことも多々ある。

 

少なくとも、気持ちよく食べられることを美味しいという。 それでいいや

 

みつ豆は、豆の違和感があるからこそ、微妙に美味しい。

美味しくない食事が続くと、好みの料理が盲目的に美味しく感じられる。

 

貧民ほど、その傾向が強いのだから・・・気を付けんにゃいけん。(笑)


ではまた