風邪は夜にひく?

世界には布団教徒が多すぎる

 


 

世間のうやむや

 

スキーのもどり、バスが転落した。 人が死んだ。 家族が泣いた。

長距離バスのインチキ運行は、まったく今に始まったことではないが・・・

アベノミッキスの結果、貧富の差が安値競争を加速して、社会を暗くしている。

親の貧乏根性が子に移ったか・・・あるいは子が勝手に安い人生を選んだかもれない。

事故といえば聞こえはマシだが、バスによる大量殺人だ。

安ければ、あとはど〜でもい〜ような社会、ニンゲンが無駄に増えたから仕方ないが、

命はずいぶん軽くなったものだ。

 

カツを横流しするし、承知で売るし、すべてがアベノミッキスのせいではないにしろ、

経済はいよいよ古い原理に歪がたまり、大きな震源になりつつあるようだ。

ポン人は、こうした人災やら偽装に慣れ、ずいぶん軽薄になった気がするし。

安物買いの命失い・・・デフレというより、安物人生を好む人が増えた。

背に腹は代えられぬが、そこに命を賭けねばならぬとは・・・厳しい時代だ。

といっても、動物の世界ではフツーなんだけども。

 

しかも

自慰眠党がもっともチカラを注いできた復興予算関連。

談合がバレてしまっては・・・思うように政治資金が流れない。

今のところは、お約束の目くらましの発覚だろうが・・・

フクシマの周辺に投入される無駄金は増大し続けるし、ナゾの金の流れも多くなる。

そして結局、貧富の差は広がっていく。

 

いづれにしろ・・・働き手が疲弊する社会は、長持ちしない。

労働者が居ない株式会社など、意味が無いし、株式にも意味が無い。

 

いや・・・もともと、生物にとって働くということは、まったく重要でない。

私が知るなかでは、働く生物はキノコを栽培するハキリアリくらいなもので、

 


 

ここ2年ほど風邪をひかず・・・おだやかな冬場を過ごせたので、幸せている。

基本的なことだが、山口県人にとって幸せという単語は動詞でもある。

 

内地の友人知人にしてみれば、南国なんだから当然だ・・・と安易に考えるかもしれない。

だが、南国の冬は思ったよりずっと甘くない。

冬場の朝方、気温は8℃〜19℃に変化し、寝具の許容量を超えた振幅がある。

毛布だけでも、厚布団だけでも越せない冬の夜。

無論、島の周囲には冬でも20℃を越える黒潮の流れ。

小笠原のように大陸から遠ければ季節風の影響は無かろうが、徳之島はモロに受ける。

シベリアから寒波が来れば大気は冷え、南風が吹けば洋上の気温に支配される。

 

幼少から大学のころまで、私は左右どちらかに縮こんで寝ることが日常だった。

のに・・・社会人になってからは、仰向けに大の字でイビキかいて寝るようになった。

しかも、冬場でも布団から肩を出して寝たいのである。

歳を負うごとに、その姿勢は強くなったものの・・・ここ数年は、仰向けでは呼吸が止まる。

なので、息苦しくなって横を向いて寝るし、うかつに仰向けに寝ることが出来なくなり、

今となっては、寝返りをうつことすら、半数以上は自分の意思でうつしかなくなった。

 

私にとって、夜も意識がある時間が長くなった。 でなければ、呼吸できない。

 

んが・・・そうした夜の明確な記憶の数々によって、得られた結論もあった。

それが、どうせ肩を出して寝たり、布団を蹴散らすのなら厚着しとけ・・・であった。(笑)

 

厚着の不快さは、寝汗もあるが、もともとの窮屈さである。

だが、締め付けのきつくない、歩けばズルズル落ちるくらいの衣服なら気にならぬ。

 

もともと人類には、布団は無かった。 体毛がモジャモジャでもあったし・・・

だが、体毛がどのように失われ、衣類や布団が必要になった。

だが、布団を衣類のようにまとうと、天敵の大型肉食獣から逃げられなかったのが、

科学優勢の現代にも、根強く残っていて・・・アタリマエのように布団が用いられている。

まったくニンゲンとは・・・進歩してないよね。(笑)

 

そんなこと、あるものか! と思ったアナタは、原人より進化してないのだ。

そもそも、科学が進んだ現代において、布団を着て寝なければならない理由などない。

むしろ、布団より合理的な寝具をまとい、いや寝具でなく着衣のまま寝ても問題ない。

 

アナタにとっての、無駄に安心感のある、いやむしろ無駄に安堵を得られる寝具の存在は、

いったいナニが絶対的な心の支えとなっているのだろうか????

 

布団とは、近代生活のゆるぎない根本っぽいのだが、あまりにも非科学的である。

科学信者の生活に相応しいとは、まったく思えないのだ。

実は私たちの信じている近代科学社会≒先進国の生活にも、非科学はどっさりあるなか、

もっとも派手なナゾが、布団の存在であった。

 

化学調味を用いない地域はいくらでもあるが・・・布団を用いない地域は、赤道周辺か極地。

布団は文化なのか、あるいは本能なのか、あるいは誰かが仕向けた習性なのか、根深い。 

もともと、なぜ人類が体毛を失い、全身毛の無いズル剥け動物になったのか・・・も根深い。

誰しも、毛の無いウサギやパンダ、コアラを想像したくはないだろうが、ナゼかニンゲンは

毛なしの裸である。 いやむしろ、恥ずかしい感じで妙なところだけ毛が残っている。

他の動物から見れば、かなり変な様相であるが・・・ニンゲンは気づいてないようだ。(笑)

 

そうした面からすると、果たしてニンゲンが正常進化したのか・・・疑念は絶えない。

 

さて、恥ずかしいからか、あるいはエデンのくだりが本当だったのか?衣服を着る。

だが、衣服は装飾へ変化したのか・・・寝るときは脱いで薄着になる。

太古には毛皮を敷いたり着たりして就寝したのだろうが、なぜ服ではないのだろう。

衣服は手や足が露出しているものの、敵が来たときに対処しやすいのに・・・

 

私は、たまにこの世が変だな・・・と感じることがある。

それについて「事象のほころび」と呼ぶことにしているのだが、布団や宗教はもっとも大きく、

ほころびと呼べる小さなレベルではないだろう。

 

ほころびは、日常的には、木立の向こうを通過するはずの野鳥が、通過せず消える現象だ。

無論、ちょうど木立の向こうで方向を変えた・・・とも考えられるが、そういう性質の飛び方を

しない鳥類もいる・・・ということだ。

 

私を中心に世界が構築されているわけではないので、私だけが目撃するのはおかしいが、

本来、だれも見ていない、あるいはわずかに私しか見ていない現象ならば省略しても、

世界の異変にはならない。 と・・・考えることも出来そうな気もする。

 

ところで

問題は、さも非科学的な布団が、世界の寝床を占めているのか・・・である。

脱げる、ずり落ちる、なぜかタダの四角い布、生産性は感じるが、機能的合理性は薄い。

こんなのを信じて用い続けるというのは、むしろ知らぬうちに布団教に帰依し、

修身=就寝しているのではないか?と考えるようになった。

 

さて

これまで、深刻な風邪感染を感じたことは数少ない。

そのくらい日常的に、気づかぬうちに?感染していたのだろうが、

発病は決まって就寝中が多いような気がする・・・のが、今回の思いつきである。

 

こと、大人の場合は深酒で寝ると、感覚が麻痺して寝てしまうのは除外。

 

私に限ったことか知らぬが・・・布団の肩口から冷気が侵入して寒い思いをした、

というのが概ねこれまでの顛末だった気がする。

 

だからといって寝袋では窮屈だと思うなかれ、寝袋には封筒型タイプも存在する。

ただ、封筒型だとズリオチは防止できるが、肩口問題はミノムシ型には劣る。

寝袋には、寒暖に応じてベンチレーションし辛い弱点がありそうだが・・・ファスナーがある。

 

通販では、ねんねこ?みたいな衣服型の布団もあるが、流行らないようだ。

毎夜のコトであるが、なぜそこまで布団に疑念を抱かないのか、布団には絶対の何かが

潜んでいるのに違いない。 いやむしろ、布団に意識が及ばない理由があるのか?

寝てしまえばわからない・・・からか???

 

風邪をひく理由は単純で、体温が下がったときに免疫力が低下して発病する。

 

寝ている間は、気づくことができず、どうしようもない・・・と全世界の布団教徒たちは

信じているようだが、私は変えた。

 

南国だから、問題ないだろうと考えるのは問題だ。(笑)

一週間の夜の最低気温が10℃近く差が出る南国には、風邪ひきが多い。

私は数年前から、アンダーウェアを着て寝ることにした。

ヒートテック的な繊維を用いた、上下ピタッとしたアンダーウェア=シャツとステテコ?だ。

真冬の今ごろでは、首まわりを覆うことのできるフリースのジャケットも重ねて着る。

暑いこともあるが、そのときはファスナーを開けたり、布団を脱ぐことで調整する。

 

さらに寒くなりそうなときは、軽くて締め付けのない防寒服?みたいなのを着て寝る。

もちろん、厚手の靴下も装着だ。 履きこなれた、ゆるいのが相応しい。

 

寝巻きは、寝ているときに体の血流を止めない程度の衣服・・・という意味合いだろうが、

それで風邪を引いてしまったら、血流やらシビレで目覚める以前の問題である。

なにしろ、西洋医学と薬剤が普及したのは、ここ数十年のコトで布団はもっと前からあり、

風邪対策は自助努力しかなかった。

 

無呼吸症候群が見つからなかったのは、やはり寝ているときを軽視してしまいがちな、

人類の考え方そのものに起因すると思われる。 それは、デブ限定の症状ではない。

しかし、人生の1/3以上を占める睡眠時間を、おろそかに考えるとは、科学は甘い。

眠りについて科学するわりに、寝具については考慮されない。

 

枕は考慮されても布団はない、マットレスは考慮されるが、布団はないのである。

 

中身の素材こそ、多少の進歩はあるものの、基本的に布団はなんの進化もしなければ、

完成度が高いわけでもない。 布団へ、ヒートテックを用いることもない。

 

ナゼだろうか。

 

おそらく答えはシンプルで

ニンゲンは寝ることについて無知蒙昧なことに、全く気づかないだけだ。(笑)

西洋人が、きっちり起業していれば、ポン人も気づくのだろうが・・・ポン人は真似が基本。

西洋人にとって寝ること≒ネガティブであって、そこに着眼することはできないのである。

しかも、誰しも金をかけたがらないジャンルでもあるようだ。

 

とまれ

内地にも、私同様の疑問を抱く反布団同盟の同志が居て、ヒートテック必着で寝ている。

骨のある同志がいてくれて、嬉しい限りである。(笑)

 

たとえば、関東において部屋を暖めれば、限りなく乾燥し砂漠なみの渇きに襲われる。

かといって、寒いままでは進歩が無い。

だからといって、加湿器をまわせば・・・冬とても、カビがはびこり始める。

 

エコで健康的なのは、やはり着て寝るに限る。

 

ここで視点をややもどす。

関東のように寒さが比較的安定していれば、ヒートテック寝でもよかろうが・・・

我ら南国島嶼の民にとって、激変する朝の気温へ現代科学のみで適応するのは難しい。

すなわち、布団や衣類の脱ぎ着≒運用でカバーするしかない場合が多々ある。

 

現代科学のなかにあって、

おおむね頭の悪いニンゲンに合わせてチューニングされたのか、

そうでないニンゲンを対象にしているのか・・・明記されていない手動系道具が多い。

つまるところ、それを勝手に解釈して用いるしかない。

寝るというシンプルな行為?に対して、個人の創意工夫ばかりをアテにしている現代科学。

それってどうなんだろう・・・ 科学(過)信者の皆々さまよ。(笑)

オートマティックが大切なのではないのか??? 現代人は。

実は、ポン人が信じているのは科学でなく、経済原理である。

ダレのためでもない、金のための技術で、経済を進歩させているだけで、生活とは違う。

 

便利だの、ついていけないだの、オカルトだの謂う前に、ニンゲンのためになるか・・・

知っておこうや。

 

だいいち、オカルトなのに初詣するくらいなら、もっとヤルコトがあるだろうし。

祈りのフリするだけでも、たまるチカラもあるのを気づかないのなら、詣で行為自体が問題だ。

と・・・謂うと、変人扱いだろうが・・・実際に感じ始めるとわかることもある。

おそらく、人類がカミといっているチカラが、万人向きの正義や道理とは異なる稼動指針だし、

そもそもカミは、全能でなく守備範囲?もあるみたいだし。

一人で信じるぶんには、さほどの懸念は無いが・・・集団が意志を投じるとチカラが生じやすい。

 

さてさて

それにしても、現代には布団信者が多すぎる。

さほど便利でもない、科学的でもないのに、四角い保温道具を用いる習慣に侵されている。

そういえば、科学的な寝具があったあった・・・電気毛布。

アレは・・・しかしまったく反科学で、下からでなく上から暖めること自体が間違っている。

科学というなら、むしろ電気シーツだろう。

ただし、シーツの方が感電しやすいから、原始科学なら電気毛布しか実現でなかったけれど、

現代科学は違うと思うけれど・・・

 

週末は、どえらい冷えるという。

布団は厚手の羽毛布団で余裕があるが・・・暖房なしで6℃程度の気温をしのげるか・・・

ビミョ〜・・・実にビミョ〜である。

 

 

荒れ模様でチヌを狙えないでいるが・・・一度だけズルビキコーンで掛けた。

んが・・・無駄に増殖してイノーを埋め始めているメヒルギに回られて外れた。

いささか悔しいが、ルアーを失わなかったから、再チャレンジは可能である。

今回の帰省でも入手できなかったのが、小型のジグヘッド。

ソフトルアーはカサゴ職人の買い増しで充実しているものの、ジグヘッドが消耗している。

メバル用より太く、シーバス用より小さいジグヘッドは、なかなかない。

この春のノッコミシーズンには、このデッドストックでなんとか間に合いそうだが・・・

そもそも、荒れ模様が続けば釣りにならぬから、使わずに済むかもしれないな。


追伸

遅れて青を書いている日曜午前、なんとアラレがサッシをたたいた!!!

平地で氷の類が降ったのは、島に移住して初めてだ。

山あいの集落では一度、体験したのだが。


ではまた