いろんな悩み

 


 

世にあふれるキテレツ

 

流行語大賞を聞いた。

半分はテレビ専用の言葉?なのか、まったく知らなかった。

でも、生活には困っていない。

ちなみに、爆買いはわかるが、トリプルスリーはなんのことかサッパリだ。

おそらく、私が知っていても何の価値も無い言葉だと思う。 野球を観ることはないし。

マイニチシュウゾウに至っては、もはや苦笑するしかない。

意味不明というか、断じて知りたいとも感じない。

そんなので盛り上がるのか? なんとも、よほど娯楽がないのだな、一般の方は。

 

国民の娯楽、テレビジョン。

ただ、テレビだけでしか成り立たないネタがあり、それはおそらくただの娯楽で、

社会的に役立つものではない。 私もテレビは視ないがアニメは視ている。

それもこれも、時間を消費するだけの娯楽・・・ニンゲンとは贅沢な生物である。

働いた金で、家電を求め、電気を買ってテレビを見る。 そのためにまた働く・・・

私もそうだが・・・尋常な社会とか生物の生活には感じられないのだけれど。

 

遊戯王というシリーズがあるが・・・あれはオカシイ。

笑えるのではなく、なんとゲームしながらバイクに乗るというトンデモな設定だからだ。

あれを子供に見せたら、どえらい間違う気がするが、平然と放映されている。

 

島に来て、浮世離れした生活をし始めて6年半。

浮世離れとは言葉のあやだが、はやりフツーの生活とは違うから、

もといた社会の常識に、違和感が出始めている。 ある種の客観だ。

 


 

ところで

全国的に師走になった。

島は半月前まで夏日だったから、10月から一足飛びに12月になったようで、

いささか損した気分である。

こちらの朝は遅いのが弱点。 このごろは7時ごろ。

これから冬至を過ぎてもなお遅くなっていき、冬場の曇天と東側に背骨山脈があって

なかなか明るくならなず、目覚めにくいのである。

冬場の南国は、想像以上に過ごしづらい。

ただ、湿度はそのままでも、寒くなると飽和水蒸気量が減るので・・・さらっとしているし

洗濯物も乾きやすくなる。

それでなくても起き辛い日々なのに、曇天だと終日7時台の明るさのままだ。

やけに起き辛いというか・・・寝やすい冬の日々になった。

やれやれ・・・

  

結局、夏からずっと東側の海はうねりっぱなしで、釣りにもならず・・・

イノーもほとんど濁りっぱなし・・・という日々のまま、半年が過ぎている。

東の浜がうねりっぱなしだったのには、もうひとつ理由があった。

地味に続くうねりが砂を払い出して、少し沖の海底に砂丘を造ったようで、

浜の真ん中だけ大波が立つのである。

サーファーには人気になっていて、釣り場に車がどっさりだと・・・

あ〜きょうもまた、うねってるな、と判る。

この秋はいつになく感情的にはフラットな日々だったように思う。

何もなかったような、それでも微妙に充実していたような。

でもやっぱり、刺身が食えていないのは事実。

あれ?この前に刺身(さしみ)を食ったのはいつだっけ?

いつぞやOちゃんとこの家族が来たときに釣った、ツバメコノシロ以来では?

やれやれ・・・

 

世の中にはいろんな悩みがある。

悩みとはニンゲンが勝手に心に設ける、面倒ごとのとこた。

やれやれ・・・

 

冬場の朝食はパン食が増える。

というのも、ビタミン源のリンゴがお手ごろ価格になるからだが・・・

この秋のリンゴは、なにやら高い。 アベノミッキス効果で内地はインフレ気味なのか?

しかも小さいから、まず買うかどうか悩んだあと、いざ食べる段になって、丸ごとか・・・

いつものように半分置くか・・・悩ましい。

 

そして毎度のことながら、リンゴは片方が太っていて、どこを半分と見なすべきか、

はたまた今回はきちんとヘタとお知りを真っ二つにできるか・・・とリンゴをくるくる回転。

リンゴくらいサクッと食べたいものである。

やれやれ・・・

 

その朝食の汁物は、ようやくアツモノが美味しい季節だけに、コーンスープだ。

アオハタか農協のコーンか悩ましい。 アオハタは高いがクオリティも高い。

だが、いづれにしろクリームスタイルのコーン缶である。

農協のは、いまどき珍しくプルトップではなく、缶きりで開封するタイプ・・・渋い面倒さ。

大さじ3杯くらいを250ccほどの牛乳で解いて55℃設定でチン。

不思議とちょい沸騰する。

ハウスの顆粒シチューの素を加えて混ぜ、安物の薄いスライスチーズを半分加え、

コショウとナツメグも少々、さらに軽く混ぜてから、もう一度チン。

こってりとしたコクのあるスープができる。

このときうっかり、チーズを先に混ぜてしまうと、シチューがダマになって悩ましい。

 

あと半分のスラチーを、どうやってパンにのせて食べるか・・・

4分割して、X字にパンに置き、焼き海苔1/4枚をそのうえにマウントすると、

なぜかまんべんに味わえる不思議。(笑)

我が家のパン食には、よく海苔がのる。 なにしろオープンサンドなのに手が汚れない。

しかし、やはりシチューの素は化学がキツイので、舌がしびれて困る。

世間様の舌は、いったいどうなっているのやら、私が異常なのか???

何を買っても、吐きそうなほど甘く、化学が効いていて、スーパーで買われる食品が少ない。

漬物はおろか・・・ソーセージやハムなど、もはや何の味かわからない。

スーパーのコロッケも化学でしびれるから、買えなくなった。 コロッケそばが食いたいなぁ。

キチンとした風味の食事をまともにできない。 いったいポン食はどこに?

悩ましいというより嘆かわしい。

やれやれ・・・

 

そんな平和な・・・日々の悩みはまだいい。

 

私は、清貧という言葉が好きだ。 私は清くはないが、そこそこ貧民である。

なにしろ、年収100万あるかどうか・・・だから酒を飲もうと思うと食費が足りぬ。

ならばと肉食をやめてしまった。 すると・・・肥満と高血圧が改善したようだ。(笑)

ともかく運賃が高いから物価が高い。 輸入物は、ともかく高い。

食べ物も、燃料も、その他の生活物資も、玩具も、学用品も。

 

私のように未来を必要としない、繁殖力も無く惜しげの無い生命のために

増税される方向性ばかり感じられるからだ。

それは、政治屋世代であるジジババに手厚い税制でもある。

 

現代日本の問題は、子育てに金がかかるから、結婚しない・・・という現象だ。

子育ての必要が無ければ、そものも結婚には意味が無い。

合理性があるだけに、防ぎようの無い現象である。

私自身も、すっかりそう感じていたし、それがアタリマエだと思っていた。 

 

つまり

金がない=能無し=弱者が子供をつくることは、弱肉強食に反する・・・だった。

 

しかし

学費がかからなければ、子育ての負荷は、純粋に人格形成になる。

バカ親たちが、人格形成まで学校にマルナゲしようとするような・・・

共働き美徳社会なんて間違いだらけだ。

人格や良識は個性のひとつであり、家庭によって差異があることが相応しい。

それが一定化されてしまったら、価値観が統一されて恐ろしい国家になる。

 

現在の資本主権社会は、世辞にも正しい社会の在り方のワケが無い・・・と

人生49年にして、ハッとしたのであった。 情けないことに。

 

にしても、ここまでヒン曲がった社会をどう生きていくのか悩ましい。

 

なんと

特殊出生率、全国トップ3がそのまま島の3町だが、

天城町の人口のうち75歳以上が半数を占めている。

65歳以上ではなく、75歳以上だ。

 

※後日、詳しい資料を入手して再計算したところ、65歳以上が30%強であった。

ホッと胸をなでおろしたが、出生率が高いから、安心できる数値でもないような。

 

おそらく、近い将来のポン国内の姿である。

先日の防災訓練で参加者100%が車で逃げてきた・・・避難所もあった。

避難訓練で、避難所に車の誘導員がいるなど、無常識にもほどがある。

もはや内地のオキレイな防災知識で対応できるレベルを超えている。

というか・・・下回りすぎて困ったものだ。

赤子までもが、ご老体を背負って逃げなければ、避難が完了しそうにない。

しかしながら、これは現実だ。

 

災害が起こらないことを願うしかない・・・と謂いたいところだが、

防災は私の仕事だ。

この一点においてのみ、私は摂理を否定して弱者を救わねばならない。

オトナの立場は厄介なものだ。 摂理に盾突いても、絶対に勝ち目はないのだが。

 

先日、もらいものというか、仕事の報酬の物納?の

島カボチャの調理にチャンレンジした。

島カボチャは正直なところ不味い。

エビスナンキンのようなホクホクでもないし、甘みもない。

だが風味がないわけではなく、カボチャの味に感じるくらいの糖分をじっくり吸わせれば、

かなり美味しくなる。 べチャッとするが、煮崩れも少ない。 硬めのトウガンといったところ。

あくる日、さらに次の日まで静かに寝かせれば、カボチャのエキスが全体にまわり、

出汁を使わずとも味わいが深まる。

香りづけと甘さにタマネギを1/4だけ加えてあるだけで、塩と醤油と砂糖のみの味付け。

 

つまり、時間が不味さを克服してくれる食材であるとわかった。

 

防災もコレかな・・・と思う。

シマンチュがドテカボチャ ≒ トゥッチブルだ、という意味ではないよ。(笑)

要は、逃げる時間が少ないから間に合わないだけで、時間をつくればいいのだ。

 

75歳以上が半数で、アクセルとブレーキを踏み違えても不思議はない世代だ。

車で逃げれば、避難できない住民が鰻上りになることは間違いない。

あわてたご老体が左右確認などするはずもないし、

島の街路は車が一台が通るだけの幅員しかない。 事故が起きたらその道はアウトだ。

炎上すれば、さらにパニックは広がる。

 

少子高齢化とは、やはり人類がステップアップするための通過儀礼。

摂理は、あるいは進化のチャンスでもある。

 

みんなが笑顔で暮らせる社会・・・などという贅沢は謂わない。

泣かずに済む社会・・・くらいは何とかしたいものだ。

資本主権社会は、弱者と強者の差が利潤を生む仕組みだから、

生物にメリットがある社会性というには最初から間違っているし、摂理そのものだ。

 

ご老体をスマートに避難させ、さらに若い世代を巻き込まない手法・・・

 

防災老人会・・・でも立ち上げてもらうか?

災害と戦う、強い高齢者になってもらうために。

歩くことが面倒なだけで、畑仕事で鍛えた体はしっかりしている。

先輩風を吹かせるだけでなく、先輩風を避難誘導などに役立ててもらえる社会。

ハードルは高いが・・・高齢化先進地だからこそできることがあるはずだ。

 

実に悩ましいが・・・時間を無駄にしなければ、まだ時間はあると思う。

 


ではまた