※島での毎晩飲み会、毎朝釣行のため、昨夜は全力睡眠したので木曜更新となりました

憧れ、冬の沖縄へ だが・・・


いつもどおり、出立の日は長男らしく早々と羽田に着いたが、

今回は電子装備が多いのでいつもよりザックが重い。

数年前は16キロ程度だった装備が、いまや21キロ。

5キロも太ってしまった。

三脚だの、超望遠レンズだの、デジカメだの、予備バッテリーだのだの、

パソコンまで持って行くのである。

実はこいつらを持って行きたいがため、今回は特別に釣れそうにないことが

十分予測されていたので(低水温なので)、釣り道具は縮小気味にしてある。

それでも5キロ増なのだ。

前回よりずっと警備が厳しくなったチェックインを無事通過し

ズッシリとくるザックと釣竿をバゲージに預けてほっとした。

やがてスムーズに機内に案内されたまではよかった。

チェックインのとき指定した二階席に空いていたはずの窓際席

それはなんと一番前方、妙に暗いと思ったら

窓が、あの憧れの青い空を見るための、ジャンボの加速を目で確かめる

旅の最初の楽しみのための窓がないのだ。

これはどうしたことか、窓際というから予約したのだ。

だがしかし、ここには窓がないではないか、これは明らかに「壁際」なのである。

今更じたばたするのも何なので周囲をよく観察し、よろしげなポイントを探すと

ここは他にはない独り占めの液晶モニターと足を伸ばせる

僕の日本の土地がらにマッチした控えめな長さの足には

無限の伸びを約束する空間がゆったりと存在しているではないか。

多少閉鎖的ではあるが足が伸ばせて

ゆっくりぐっすりできるならよろしいではないかと解釈することに決めた。

さて、出発時刻をゆうに過ぎても、一向離陸の気配がない。

せっかくの解釈が不安に変わる。

別段窓があったから状況がつかめる、などといった特効性はないのだが

なぜか窓のない機内は不安に満ち満ちて感じられた。

やがて、チェックイン後行方不明者4名を待っているというアナウンスである。

やれやれ、原因がわかって安堵した。

機内の不安は取り除かれたが、もともと那覇での乗り継ぎは35分程度しかない。

一転して遅刻の不安に変わってしまった。

20分後ようやく現れたウツケモノたちが搭乗したが、滑走路が混んでいる。

なんと、結局30分遅れで羽田を離陸したのであった。

うーむ、明るく接してくれるやさしいスッチーに打ち明けたものか

しばらく悩み、機内サービスのスープを飲んで決意を固め、打ち明けてみた。

さすがは僕好みのスッチーだけあって、対応がすばやい。

すばやかったが、ちょっと甘かった。

「連絡はとりましたが、定刻でのフライトということですので」と笑顔が苦々しい。

次にやってきたのは、別の好みであるところのややアネサン系のスッチーで

「次の便で行かれるしかないかもしれません」とあっさりと言うので

「次の便って明日なんですよね」とこっちもサラッと言ったら顔色が変わった。

こりゃあイカンワ大変だワとようやく理解してくれたようである。

そうこうしていると到着時刻は13時55分という。やれやれ、14:10発だから

15分あれば十分走れば間に合うでなないか。

コレ以上スッチーを脅すがごとき行為は、好みということもあって良心が痛み

速やかに中止した。到着予定15分ほど前、到着後のダッシュに備えるために

二階席から出口のすぐ脇の席へとスタンバイするようにとの沙汰が下った。

スタンバイすると正面に気品はあるがやや好みからは逸脱した僕より年上の

制服の色の違うスッチーが居るが、制服が違うのでスッチーなのか?と

思っていると、これがスッチーのチーフであった。

チーフは年齢的?経験が大切なのだろう。

制服好きの僕には、ベージュの制服がツヨクそれを主張しているようであった。

ちなみに通常は紺系の清楚なイメージである。

ベージュはやわらかな物腰で「本日は申し訳ありませんでした」と

着陸前なのだが、すでに過去形で謝罪してくださった。

本日は、じゃなくて、ぼかー何ヶ月も前から本日のみを目指してやってきたので

本日がだめなら、ここ最近の人生が駄目になっちゃうのだが、スッチーチーフは

冷静に本日のみであるという顔をしている。

時計を見るともう13時55分だがまだ空の上である。

うーむ、まだ15分あれば、那覇へ着陸し、ロビーを横切り・・・間に合うはずだ・・・。

手はずは整っているとのお達しもあったし

悩もうと焦ろうとジャンボはどうにもならないし

即座にギヤ(車輪)も出さないで着陸されては

全く不本意であるので、もう開き直って時間を気にせず窓の外を見つめていた。

妙に虚しく映る、曇り空の那覇の海が横たわっており

海面は風に吹かれ、つや消しの海面には季節風の撫でる模様がうごめいている。

つや消しだが、おなじみのエメラルドグリーンの海を越え、着地したのは14時すぎ。

駐機するまでに時計を見ることを止め、ドアが開く直前に時計を見ると

14時7分、あと3分。マルチャン緑のたぬきができあがるころには

南大東行きは出てしまう。(赤いきつねは5分だ)

僕のためだけに空っぽのバスが待っているのだろうか

まさか、無線を携えた案内員と共に風の中を走って機体に向かうのだろうか

プロペラが回っていたら巻きこまれそうだなぁなどと

たちまち様々な予想が脳裏に展開されつつ、ドアモードがマニュアルに変更され

ベージュのチーフによって、目の前のドアは開いた。

案内しますと言われたはずのスッチーチーフは、なんとドアが開くまでで

地上勤務の職員に即座にバトンタッチ。

那覇空港の南ウイングを走り抜ける。

中ほどまでやってくると別の職員にバトンタッチし更に走る。

走りながら「チケットはございますか」と言われ

待ってましたとばかりに、チケットを渡す。

こんなこともあろうかと、チケットを準備しておいたのだ。

しかし、いかんせん琉球エアコミューターのチケットは

グリグリの手書きなのであった・・・。

しかしさすがは毎日手書きチケットを扱っているのだろうか

走りながらチェックを終し行きのチケットをちぎり取り

残りの帰りのチケットを走りながら僕に戻す。

バスなので階段を駆け下り、開放されている搭乗ゲートを抜けると

既にその先で待つ職員の手に搭乗チケットが切られた状態で用意されており

走りながらそれをマラソンの給水のように受け取って、バスへと飛び乗った。

「ごーめんなさーい」と言いつつ乗り込むと、未だ全員が乗っており、見た顔が3人。

あんたのせいでミンナまっとったんジャケンネという顔であった。

僕は滑走路を走ることなく、ミンナのバスに乗れたのでほっとした。

知った顔の一人が、今回同乗することを約束していた

地の果てまでトンボを追う男のO君である。

O君は僕が来ていないことを察知し、職員の方にあらかじめチケットを

用意するように言っておいてくれたそうである。

どおりで、スムーズすぎるマラソン給水式チェックインが可能だったのだ。

それでもって、念入りにO君の隣を取っておいたからね、という。

修学旅行でもないので、大の男が別に隣にならなくてもヨロシかろうものだから

ちょっとテレ恥ずかしい。残りの顔見知りのお二方は宿の社長令嬢の姉妹である。


(流石は姉妹、奥と手前でシンクロしてネムッた写りは見事・・・経由地北大東空港にて)


(Oは素早く半ズボンとビーサンにハキかえて南大東入りするのだ・・・北大東空港にて)

なにはともあれ、大東へ行く飛行機に乗れた事が感無量であったのは

前回、上空まで行って、霧で引き返した苦い経験もあったからだろう。

今回はたとえ引き返しても、皆一緒である。

そういえば、通常だと那覇空港の琉球エアコミューターのチェックインで

10キロを超えたぶんの超過料金があるのだが、今回は走破したおかげで

免れることができ、キロ当たり400円と松坂牛の切り落とし並の価格が

荷物に課されることになるところを、今回は特に4400円以上を未納で

済ませることができたのは不幸中の幸いであったといえるだろう。

(そりゃ100グラム当たりだ・・・、松坂牛ならキロ4000円・・・?)

その日は風が反対だったので、北大東からのフライトは5分コースらしい。

というのも、北大東から南大東への飛行は、順当に行けば上がって降りるだけ。

風向きが反対の場合は北向きに離陸後、ターンして南へ向かい、大きく回りこんで

北へ機首を向けて、風に機体を立て向かい風で降りるのだ。

飛行機は必ず向かい風で離陸し、そして降りる、これ常識。

冬場は北向きの風だから、そうなるわけで

5月以降は季節がら南風が多いので順当な3分コースである。

おそらく、世界一短い航空路線ではないだろうか

以前手もとの時計のストップウォッチで計ったところ

離陸直後から接地まで3分3秒だった。

大きく回りこみ、上空から不思議に懐かしい赤土と岩壁の島を確認し

久々の暖かな風、温かな人たちに会える島へ足を着けることができたのであった。

タラップを踏みしめ、いつものように歩いて到着ロビーへ入っていくと

やっぱりいろいろに出迎えの顔がある。待っていた人の笑顔がある。

見知った島の顔もある。南国の顔に白い歯があちこちで開花し挨拶をかわす。

語尾がちょっとしゃくれたウチナー言葉がそこここに聞こえてくる。

置き去りにしたはずの、人間と共に流れてくれる時間もまた出迎えてくれる。

この生活路線の空港は、僕にとっても生活路線となっているようであった。


次週へつづく


ではまた