きびしま、いやしま γ号

友となる島、友とあえる島

きびしま、いやしま、がんま号

 

いたっておなじみの始まりであった。

 

タラップを降りて、空港ロビー(待合といったほうが、らしいのだが)

到着ゲートの向こう側を見ると、おなじみの顔が手を振ってくれていた。

そう、おなじみのキックボクサー館長である。

相変わらず明るい顔で迎えてくれるのだが、実は他の客からの印象は

コワオモテで愛想なしと思われることが多いらしい事をこぼしていた。

だが、僕にとっては、一年ぶりに大東ソウルが心にリロードされる

そんな感じの笑顔であった。

 

僕以外にも数人のお客が居り、送迎用ワンボックスの後ろは

人と荷物とでいっぱいだ。今年は一般的な?お客が多いことが分かる。

こういうとき、ナゼか僕は助手席に乗ることになっている。

他のお客さんには悪いと思いつつも、館長と一年ぶりの会話がはずむ。

宿への道行き、昨日までシケていたと聞いて、釣りにはチャンス!と

思ったが、結果は先々号のとおり。

館長の声、車窓から見える風景と、もわ〜んと来る海風の湿気が

体中の何かを洗い流すというか毒消しするというか

カラダの芯がすっきりしてくるのを感じる瞬間である。

 

さて

宿に到着と同時にそば屋のI佐さんが現れ、さっそく握手だ。

空手とそば打ちで鍛えられたごっつい手にちょっとひるむ。

宿の向かいが大東そばだから、すぐにやってきたことがバレバレである。

どうやら、店内にパソコンが設置されてあったが

ネットに接続され僕のHPの記事から

そろそろ来るころだろうと分かっていたらしい。

 

しかも、あの鳥類学者、モズ男T博士が少し前まで来ており

彼がどうやら、大東そばでHPを見ていたようだ。

残念ながら、入れ違いでT博士とは会えなかったのだが。

 

一年間、あちこちの島へ行っていたせいか

不思議といつもの年より、ずっと長いこと来ていない気がし

懐かしさもヒトシオのホテルであった。

チェックインするのにフロントへ行ったら

南国系美人若奥さん、E子さんがいない・・・子供たちもである。

うーむ、珍しく静かな宿であった。

 

その代わり、もはや島の父のような存在の社長と早速顔を合わせた。

社長の顔を見ると、体中が「大東へ帰ってきたなあ」という

怒涛の安堵感に包まれる。

さっそく「厨房へあがってごらん、お客さんが釣った大物があるから」という。

 

宿に着いたら、だいたい厨房に行って挨拶する、これも大東生活ならでわ。

行ってみると、ホテル最上階の厨房のシンクに

ソコソコの大きさのカツオだのシビだのの上に

どど〜んとメーターオーバーのオキサワラが横たわっている。

ジギング好きのお客さんが釣ってきたらしい。

この種の光物はどうしても長男のルアータックルには食ってくれない。

魚は稀に回ってくれていると思うし

沖合いで時折2m近いキハダがジャンプして

豪快に餌をとっているのを見かけるがルアーには反応が無い。

多分本土も含めてほとんど釣れた事が無いから

つり方がマズイに違いない。

(せいぜい釣れた事あるのはサバ、コノシロくらいだ)

 

最近、南大東でもジギングのお客が増えているように思う。

ジギングが流行るのは、道具の進化もあるが

陸から大物が釣れなくなってしまったからに他ならない。

ついに大陸棚深度、200mくらいの深さまでルアーの領域となったが

日本人が訪れる場所でライセンスのない、管理されていない海は

ことごとく釣れなくなっている。

道具が進化したから

テクニックが無くてもとりあえず掛けたらあがる確率が飛躍的にあがった。

仕方ないことだが、多少練習して、あとはガイドの案内する場所で

馬車馬のようにルアーを投げ続ければ

大物がガバッと顔を出し釣れるような事は、もうあまりなくなっている。

ロビーには沖大東へ遠征して最近釣れたらしい

日本記録のカンパチの写真があった。

カンパチも巨大になると太った鯉のようになってしまっている。

味は別として、グロテスクな魚は写真写りも悪くどうも苦手なので

やっぱり中物が一番たい・・・と心の中で勝手に納得した。

 

そんなことはさておき

厨房には釣り好きで海に出すぎていつも真っ黒なコックさんと

社長夫人で調理場を仕切る奥さんが居る。

奥さんも断然釣り師であり、クーラー満杯が普通という趣味と実益を兼ねた

セミプロのような人であった。

早速挨拶して、釣り人同士の微妙な視線バチバチ感を味わいつつ

一年ぶりの再会を果たした。

 

大東の初日とはおおむねこういった始まりであるが

今年は名古屋ダイバーズが居ないため

「まぁた来とるがねえ〜」という声は無い、静かな始まりだ。

 

その夜、I佐さんを大東そばに訪ねると

商工会のK城さんがパソコンにかじりついている。

ここ二年ほど、年休を付けられず世間並みのお休みしかとれないため

どうしても商工会の事務所が休みに入り、挨拶にいけずに居たが

一年ぶりの再会は閉店後のそば屋であった。

どうやら、お客がアダルトサイトにアクセスして、ウィルス感染したかなにかで

壊れてしまったらしく、再セットアップしているという。

商工会のお下がりのPCだが、ヒューレットパッカードのしっかりしたもの。

仕事で疲れはて、夕食も食べずにセットアップに集中しているとは恐れ入る。

メールの設定は、なぜか僕がバトンタッチした・・・

 

そうこうしていると、宿の社長がやってきて、古酒を差し入れてくれた。

このあたり、社長の心意気がじんわりと身にしみる。

う〜む、社長の息子なら幸せだろうになあと思うことしばし・・・

 

K城さんが、遅いご飯を食べて帰ったころ、メールの設定が終了。

早速接続してみると、実は我が家の近くに住んでいるらしい、Dでんさんから

I佐さんあてにメールが届いており

どいういうわけか、僕が返事を書くことになってしまった。

 

このDでんさん、一年前に初めて会った。

さすがにコンパニオンだけあって美女、

初代大東そば看板娘らしいのだが性格はなぜか不思議と男っぽい。

そういえば、15年前・・・会社に入って初めて大好きになった

同期だけど年上だった女性社員に、どこか雰囲気が似ているんだよなあ。

時間をつくっては、あちこち島に行っているらしく

昨年秋、対馬南端の宿で魚嫌いな女将さんに悩まされていたころ

彼女もちょうど島にいたらしい。

釣るものを間違えていたかも知れぬ。

うーむ、残念・・・

 

横浜に帰って超釣友のHMS氏に紹介したら、一発で浮気しそうだが

いかんせん、メールアドレスをメモって来なかったことが惜しまれる。

HMS氏なら経営者だし、顔も広いから会わせてみたかったのだがなあ。

 

明くる朝、不眠続きであまりに眠かったので

寝坊して朝食へ行ってみると

「ん?、C野さん何してんの?こんなところで」

給餌じゃなかった給仕をしているのは

大東寿司以来のC野さんではないか。

どうやら、ここ何年かアチコチ島を回っては大東へ帰ってきて

ホテルで働いているらしい。

「いつも健康そうな顔をしているよねぇ」と言ってくれるのだが

先のとおり不眠である。

そういうことが分かりにく〜い顔なのだろうなあ、僕の顔は・・・

ま、不健康に見えるよりはヨロシイと思うのだが。

大東で会う人は何かと変わっている人や謎の人が多いが

このC野さんは後者、島を渡り歩いているものの

何をしている人なのか全く分からない

年齢不詳、正体不明、謎の女性だ。

僕はどっちかというとヘンな方だろう

釣れない釣りが好きだし正体明白、38歳独身だ。

 

 

こうして、だれかれ様々に再会やらメールやら

島ではいたってこういった生活がありつつ、一年分の友達づきあいや

南国の釣り、好奇心の赴くままの撮影などをしているのだ。

 

 

久しぶりに、こだわりのS藤氏の家におじゃましにいってみる。

すると、徳之島から虫男Oちゃんが来ており

徳之島ではテレビを持っていなくて、衛星放送のちゅらさんが見られず

S藤氏にビデオ撮りしてもらったのを夢中で見ているらしかった。

こういう大東の楽しみ方があるんだなあ。

不思議な男だ。

(実は、この大東ビデオ撮りちゅらさん計画は僕がススメた事だったが

 本当にやってしまうとは思わなかった・・・スンゴイちゅらさん好きである)

 

やがて、S藤氏が捕虫網の修理を終え、虫取りに飛び出していった。

つくづく変わった楽しみ方である。

 

僕はといえば、S藤氏にたくしていたパソコンが上手く動いておらず

二年越しの再設定に励んでいたのであって

これもまたつくづく変な島生活である。

ましかし、体調を崩していると聞いていた奥さんのAさんも

見た目には元気そうで、笑顔が見られてよかったよかった。

 

今度の旅は、島を一秒でも長く楽しむために

パソコンは持っていなかったのだが、立て続けに二台のパソコンを

設定することになってしまっていて、どっちみちそういう宿命なのだと

自分のパソコン人生からは絶対に逃げられぬことを悟ったのであった。

  

あるとき、部屋に電話がかかってきた。

都会では友達づきあいの苦手な長男だから

家の電話が鳴ることはほとんどない。

だから、宿にいるときに電話が鳴ったりするとドキッとさせられる。

なぜか、ヤパイ事でもあったか?と思ってしまうのだ。

大東そばを食べに自家用機でやってくるお客さん(スゲー!)が

大物を釣ったので、撮影してほしいという。

どうやら、電話で使い捨てカメラを所望されたらしいが

I佐氏は使い捨てカメラは買ったことがなさそうなので

頼まれても困ったのだろう。

しかし、客に頼むなよ・・・(笑)

居なかったらどうするつもりだったのだろうか???

呼び出されていってみると、待てど暮らせど自家用機男は来ない。

夕方の釣り時間が迫っていたので

いったん部屋に帰って用意をして戻ったが、まだ来ない・・・

いくらなんでも、そろそろ釣りに行かなきゃと思ったころ

ようやく軽トラックがやってきた。

見た感じ、釣り人に見えない。

やたらラテン系に明るい友人男女を連れており余計に釣り人に見えない。

いや、むしろ本当にこの厳しい大東の海で釣りする気で来たんか?

と思うようなノリの、とても陽気な連中である。

だが、軒先には巨大なカンナギ風のハタがドドーンと吊るされた。

そう、それが先々々週のφ号の業務連絡で写真を載せていた

A木氏である。

初めての釣りだというのだが、さすが自家用機男、スケールがでかいぜ。

これで大物釣りにはまっていくのではなかろうか・・・

 

釣りに行く前にとんでもないものを見せ付けられてしまったが

結局その夕方は、国京下のバラシに終わってしまった。

 

釣りの合間、ぎりぎりしか服を持っていっていないので

洗濯日和が発生する。

釣りに行きたくても、気分を切り替えてその日は朝夕だけしか

竿を出さず、昼間はのんびりと洗濯したり散歩したりするのだ。

裏手の洗濯場の釈迦頭の木陰で

青空を見上げ爽風のなか

ウオオオン、ウオオオンという洗濯機の音を聞きながら

まったりまったりとしていたところ

ふと、隣の家から声がする。

N浜のおばあちゃんである。

「あら、いつも釣りでやってくるひと・・・

 ついこのまえ、一ヶ月くらいまえだったかねえ

 ガーラが入れ食いだった、そのころくればよかったのに」

毎年来るから覚えてしまったのだが

だから、餌釣りじゃないからその魚は釣れないってば・・・と思いつつ

いつも庭越しに、いろいろ教えてくれる楽しいおばあちゃんである。

ご主人はこの島の歴史や自然に詳しく、ちょっと気難しそうなおじいさんだ。

ただ、N浜さんは引っ越してしまうらしく、島の生き字引のような人が

島から引き上げてしまうと聞くと非常にさびしい限りである。

次に行ったとき、また庭と洗濯場で話せるような

そんな家族が引っ越して来てくれることを祈りたい。

洗濯場横の釈迦頭やシークワーサーの木々は

どうなってしまうのだろう。

晴れ渡る洗濯日和であったが、ちょっぴり寂しさ漂う昼下がりであった。

  

そうこうしているうちに帰りの日が近づいてしまう・・・

 

どうしても会わずには帰れない人たちが居る、

T博士の弟子たちであった。

久しぶりに奥山組の女子寮を訪れてみたら

通路が土間から床になっていた。

女子寮なので、この変貌から見て研究室は移転したか?とおもって

コッソリ行ってみたら、まだあった!

奥山組のはからいで、なんと部屋から直接外へ出られるよう

ドアがつけられていた。

女子寮の規律を保つため

M井くん達男性研究員が女子寮の出入り口を使うことがないように

ということらしい。

 

ともあれM井くん、A谷さんが笑顔で迎えてくれた。

新入りの女性も居た。

 

A谷さんは相変わらずポヨ〜ンとした雰囲気だが、どこか違う。

そう、雰囲気がお母さん風にしっかりしており、多分一年間の島生活が

彼女を大きくしたのだろう。

「プチうつは治りましたか?」とやさしい言葉をかけてくれるあたり

わしが5年も若けりゃ惚れとったろじゃろうのう・・・と

最近めっきり、ちょっとした優しい言葉に弱くなった長男であった。

島に来るといつも以上に惚れっぽくなるなあ。

 

一方M井君はずっとたくましくなっていた。

いうなれば、去年は

島でちょっぴり鍛えられたもやし君といった感じだったが

今年は、かなりたくましい豆もやし君といった感じか?

(すまんM井君、でも太目の豆もやしにアップグレードだ!)

いやいや、細いからそうみえてしまうのだが

思ったほど日焼けしていないからかも知れぬ。

だが、明らかにめがねの下の眼光が強かになっていて

初めて会った時のT博士が

がーらの刺身を夢中で食っていたころの目を思いだす。

いつか、鳥類談義だの大東談義だの

生物本来の個体の概念だのについて語り明かしたいもんだぜ。

 

ふと見ると

贅沢にも、液晶テレビとDVDレコーダーがあるではないか。

これはどうもおまけらしく、どうやら松下のAVC社から

プロ用ビデオカメラのモニターを頼まれたらしい。

さっそく、赤外線で撮ったダイトウコノハズクの映像を見せてもらった。

昨年、T博士に見せてもらった珠玉のモズ映像より

素人的にはこちらがずっと珠玉の映像に見えた・・・・

白黒だが、夜とは思えない鮮明な映像で

丸くて可愛いが眼光鋭いコノハズク夫婦が写っている。

ソニーのものはもともと民生用も含めて赤外線モードを持っていたが

松下製のはなかった。

それでいろいろモニターを依頼して、使い勝手を検証しているようだが

いかんせん、カメラを使うプロと、研究で観測しているのとでは

カメラの使い方がぜんぜん違う。

どんなに高級だろうが、屋外に置きっぱなしだ。

プロなら、近くにテントを張って待ち伏せといいたところだが

これではどうも鳥の自然な撮影ができるとは思えぬ。

待ち伏せなんて、とうのむかしにお見通しだ。

小さいカメラをこっそり仕掛けて撮る、これが観測用としてはふさわしい。

(向こう側で手にしているのが新型)

しかも、重い。

しかも、デジタルビデオだから短時間しか撮れない。

ハイエイトの長時間モードがやっぱり良いとA谷さんはこぼす。

 

これには長男も激しく同感する。

 

長男は機能から見てプロ用デジカメがほしいが

重い!そしてデカイ!!(キヤノンEOS1D、Mk2)

さらに充電器など周辺機器まで重い!

 

美しい映像撮影は可能だが、そこに持っていく気がしない

持っていっても使いにくいのでは話にならぬ。

どうもプロというのは重いのと

昔ながらの使い方に誇りを感じる人種らしかった。

 

身構えて撮影することがプロとしての誇りだろうが

実際には重くて壊れないだけで、ちっとも防水でもないし

テントの中か晴れたときにしか使えない機材で

本当にチャンスを逃さず撮影できるのかハナハダ疑問だ。

機器へのテクノロジーの使い方のバランスが

悪すぎるのではないか?と

ことカメラに関してはメーカーとは反対の立場の長男であった。

   

釣りに行ったとき、いろいろとダイトウウグイスの鳴きまねをして

何度か実験したことも報告しておいた。

実は、ダイトウウグイスはホーホケキョとは鳴いていなかった。

ホーケキヨ(→〜↑↓↑、音程のイメージね)と鳴く。

これが、縄張り確認モードであるらしく、遠くで鳴き交わす。

これを比較的近い距離でやると、相手のほうからやってくる。

もっとも接近したときに、何やっとんじゃ、わしの縄張りで風に

ドスをきかせ、低い声でホーホキョホキョ(→〜→↑→↑)と

10メートル以内にやってきて鳴くのだ。

分からなかったのが谷渡り。

これは、ほんのときどきやるのだが、ひょっとすると

近くにメスがやってきたときに、最後の一押しでやるのだろうか。

かなりヘタッピな口笛だから何ともいえないが

テリトリーに関する習性は何となくつかめてきた感じだった。

近づいてきたダイトウウグイス(オス)がすぐそばで撮影できそうだったが

残念ながら動きが速すぎ、カメラの操作が追いつかなかった。

(じぇんじぇんですな)

貴重なダイトウウグイスの自然な?写真を撮れる

貴重なチャンスだったが・・・ 

 

夕刻

例の3キロのガーラ(ロウニンアジ)の片身を差し入れしに行ったところ

新入りの女性に渡してきたのだが、上手いこと料理できたろうか?

ロウニンアジが本土ではまったく口にできない魚と知っていたろうか?

微妙なところだが、まあ美味しく食べてくれたことと信じよう。

脂はそう多く乗っていなかったが、カンパチとマアジを足して二で割った

すっきりとした味わいで美味しかったはずだ。

 

島にずっと住んで鳥類の観測を続けられるなんて

なんて幸せな連中だろうか。

 

こうして、不眠続きだったから飲み明かしこそせず

早寝早起き、朝釣り夕釣りを満喫しながら

友人たちと会える島、南大東。

 

今年は、Y田総帥率いる名古屋ダイバーズが来なかったから

やたら島も宿も静かであったが、それは、最終日に帰ってきた

若奥さん、E子さんと子供たちが居なかったことも重なり

必要以上に穏やかな日々であった。

 

もどってきた子供達は自転車に乗れるようになったり

すっかり言葉を達者に話したり、ずいぶん成長したもんだ。

君達が生まれた時、なぜかおじさんは島にいたんだぞ。

サヤは自転車に、ミクは話が達者になった

 

さあ、次はどこの島でどんな人と逢えるやら。

次はどんなに成長した子供達に会いに来られるやら。

 

ではまた