そして、

  暮れ行く 2003年

 


闇の中で明けたような、重々しい心持ちで迎えた新年であった。

そのまま半年間、闇の中でもがいていた様に思う。

 

今は暗闇ではないが、やはり薄暗がりの中のような心持ちである。

そんななか、オアシスとなったのが、南大東や、種子島といった島の旅、

島関係の友人や鳥類学者、新たな釣りの友人との交流であった。

 

エリコさん、ミクちゃん、サヤちゃん

 

よく考えてみると、会社以外の人たちと、これほど交流した年も

初めてではなかろうか。

それに、新たな島の開拓も、沖縄へ始めて行った年以来の

最多ではないが、歴代二位の島巡りYEARであった。

 

Aさん、モズ男T博士

 

完璧なウツというのがあるかどうか知らないが

朝起きた時から、シラフでいるときは何時も、誰かに責められているような

奇妙な感覚が付きまとい、すっとした気分になれることは無い。

それは今も同じ。

お酒を飲まない日に、ウツ改善薬を飲んでみると

あくる日は気分が良くなるが、効き目は一日だけだ。

漠然と、物事に鈍くジワジワ追い詰められているような感覚のなかで

どっぷりと生活しているという感覚が、今は普通になったが

生きる気力が低下してきているような感覚も無くはないのが気がかりだ。

 

ダイトウコノハズク好きのAさん

 

「死にたい、と思ったことがありますか?」と医者にきかれた。

自殺を試みると、本格的なウツだと診断してくれるのが

日本の精神医療の有り様だが、心の風邪というわりには

診断基準が大げさすぎる矛盾が否めない。

 

僕の場合は、どうも、自分の歩んできた人生に、自分が合わなくなった

そんな感じであった。

つまり、自分で何も決められなかったから

自分の意味不明な人生の被害者に自分がおちいった

それだけのことである。

 

K城さん、謎の女性さん、伊佐さん

 

それから

運動不足もつきまとった。

心が晴れないので、嫌な都会には出たくない

したがって引きこもりがちになる。

出る時は思いっきりどこかへ行けるのだが、近場で落ち着ける場所はない。

本当は自分の部屋も好きではないのだが、それでも街よりはマシだ。

柔軟をすれば、ニクバナレを起こし、腕相撲をしても腕をいためる。

情けない体だ。

未だに、痛みでうまく寝返りが打てない。

ただ、面白いことに、超高級敷布団?のマルハチファートンは

長い間同じ姿勢で居ても、床ずれ的な痛みは無い。

細い毛の集合体であるファートンが、うまいこと圧力を分散しているらしい。

でも、寝すぎて腰が痛くなることはあるのだが・・・

 

平日は不眠、休日も日曜夜は不眠気味

眠いけれど、寝たところで寝返りも打てない

釣りに行っても集中できない。

 

大親友、吉里社長

 

ここまでくると、とても被害者妄想増大気味であるが

こんな生活を支えてくれたのが、友人達であった。

会社で顔を合わせる友人だと、多分ダメだったろうが

会社とは全く違った観点や人生のスケール感で

僕に接してくれたことが、どれだけ救いになったことか。

 

何年か前、テレビのなかのセリフで

「花に希望があるか」というのがあった。

花はただヒタスラに咲くのであり、生きていく以外は

何を望むことも無い、生きているだけでよいのだ。

といったようなことを、そのセリフが語っていたように思う。

 

生きているだけで十分幸せなのだ、ということの反面

それ以外の幸せに心当たりが無いという配役の立場が

印象的でもあった。

 

大東の兄貴、館長

 

独身生活を良いことに自由気ままにサラリーマン生活を歩めた。

自分にとって、最高の幸せの瞬間がどのようなものか

チャレンジしてきたつもりだ。

その瞬間とサラリーマン生活のギャップが大きくなりすぎて

人生の贅沢病にかかっているのかもしれない。

島へ行けば、温かく迎えてくれる友が居て

あちこちからやってきた友と、命がけで釣った魚を

共に語り合いながら食べたりもできる。

 

今のままでは、この幸せの瞬間からどんどん遠ざかる人生に

虚しさを感じている、というのが多分原因のなかの根源であると思う。

 

要はアマエなのは、本人が最も感じているのだが

贅沢病というのは治り難いものだ。

 

夢というのは、追いかけてナンボのもんである。

幸せも、味わって初めて幸せなんだから

実現したもの勝ちなんだから、今の生活は何なんだろうなあ

つい、そこに立ち戻ってしまい、毎日人生の谷あいをうろついている

そんな感じになってしまっている。

 

横浜の友、HMS氏

 

と、いうことはである

 

あれこれあったが

つまり幸せが見えた年でもあったわけである。

 

最悪な状況に最幸の瞬間が垣間見えた一年であった。

 

特に今年も、とりたてて特別さの無いクリスマスをむかえた。

それでも、生きてこられて良かった。

いろいろと、人と話せて良かった。

僕と会ってくれてありがとう。

 

徳之島の友、O氏

 

重々しい年末記事だなあ・・・クリスマスイブだというのに。

読んでくださっている方、申し訳ない。

 

大東の大先輩、M氏

 

いつも暗闇が付きまとっただけ、ジタバタできたかもしれないし

友人、家族のありがたさがようやく解った

とても大切な年だったのではなかろうか。

 

最悪と最幸

それは背中合わせなのかもなぁ・・・

 

来年、どれだけ夢に近づいて、心の闇を晴らせるか

とりあえず、年末家族と顔を合わせてから考えるとするか。

家族の顔を見れば、本当に大切なことが何なのか

またひとつ、きっと明らかになるだろう。


ではまた