行けるか?南大東・・・

 


年が明けてから、バタバタばたたっ、あたふたフタタタと

大雨の轟々たる濁流で削られる大地のように

時が音を立て、崩れ去るように過ぎてく。

 

2月にマダイだ大島だと言っていたら五週連続土曜の雨で

晴れた土曜もすごいシケ・・・この季節がオフになってたのは

理由があったんだなあ。

それに、いまだに乗っ込みマダイの声をきかない。

そうこうしているうちに・・・

 

あと半月もすると、黄金週間である。

 

こうしてキーを打つのも、まだ抵抗があるが

手首の回復が間に合うのだろうか・・・

手のひらを空に向けて、戻すとクチッと音がして

痛みがやってくる。

うーむ、手のひらを上に向けるのもちょっと苦しく

その状態でモノを持ち上げるとカナリ痛いのだ。

実験してみると、手のひらが下に向いていれば

重いモノを持ち上げても、何ら問題は無いようだ。

 

釣りはなんとかなりそうな気がするけどなあ・・・

 

キーを打ったり、マウスを使わないと仕事にならないので

回復にはもう少しかかりそうだ。

 

回復しようとしまいと、大東へは行かなきゃなるまい。

秋磯のカンパチ、真冬のヒラスズキ、黄金週間の南大東は

いまだ独身である長男力の証となるイベントだ。

長男力の基本は生命力である。

 


 

ひょっとすると、今までヒミツにしていたかもしれない。

長男が磯に立つ、ちょっと重々しいイキサツを・・・

 

小さい頃から「生きる」ということを疑問に感じていた。

別に死んでしまいたい、と思っていたわけではなくて

自分が生きていることにたいして、実感が無いというか

意味が無いというか、なぜなんだろうと思っていた。

本当に小さい頃、僕は不思議な想像をしていた。

「はるか未来の人間が、今居る実験空間を作って

 どこからもなく僕を監視し、さまざまな生活のイベントを作って

 人体実験をしているに違いない・・・両親も姿は同じだが

 時折入れ替わって、ソレゾレの実験に合わせて

 僕のそばに親の形で導入されているのだ」

なんというか、実体版マトリクスというか

多分、幼稚園の頃からだと思う。

 

会社に入ってからも、両親がニセモンだとは思わなくなったが

自分が生きる事に対する疑念というか、うそっぽさを感じて

働く自分の意味がわからなくて、車を買い、時折週末になると

紀伊半島の南端(本州最南端)の串本町の

トバナという本州最南端の飛び出た岩の上で「生きる」について

考えていたものであった。

考えていても、もちろん結論は無かったが

そのうち、同じ紀伊半島に行くのならと

スズキのルアー釣りをはじめた。

そして、ヒラスズキ釣りを知ったのである。

歩くだけでも大変な荒磯で、シケの海を狙うのだ。

「これだ!」と思った。

思ったとおり、自分の生命力を試す、良いキッカケだ。

高波が足元を洗うだけで、恐怖に刈られて竿が振れない。

生きる意味はわからないが、生きようとする自分に

生きる実感というものがはじめて涌いてきた気がしたモノだ。

生命の危険を克服していくこと=生きる意味

ということにしておこうと考えている。

高波と荒磯にも慣れたが、やはり危険は付きまとい

年に二度くらい、波にさらわれそうになり、走馬灯を見た。

大切な人の顔が浮かんでは消え、生きて来れた意味は

解った気がした。

 

うーむ、やっぱり重々しいなあ、この話題は。

 

横浜に来てからも同じで、紀伊半島よりも

更に険しい伊豆諸島を訪れた時「ここだ!」と思った。

でも、ヒラスズキ釣りにも慣れていたので

新次元のフィールドが欲しかったのだ。

そしてたどり着いたのが、南大東であった。

危険な磯、キケンな釣り、内地人が語るような味ではなく

とても美味しい魚達、生活の中で人を迎えてくれる

自然なダイトンチュウの方々。

数十メートルの磯を降りることもある。

釣れた魚を担いで、片手と両足で岩登りをすることなど

日常茶飯事である。

よろめいた足元のクレバスから見える海面は

アパートの4階から見たような感じ・・・

 

限りなく青い海、釣れる魚はコバルトブルーのヒレを持つ

カスミアジ・・・白銀のロウニンアジ・・・毒々しい赤の

本当の毒魚、だけどなぜか食べられるバラフエダイ・・・

強烈な個性と、美味い魚、一緒に食べてくれる島の人。

 

生きることに意味があるわけではなくて

生きることが意味であるということが

な〜んとなく解ってきたように思える。

 

こうして書いていると、あらためて南大東が

僕にくれたチャンスが、換え難いモノであったことが

思い返される。

くれぐれも、人生のポイントには釣りがあったのが

長男の特色であった。

 


 

今また、大きな疑問がわいてきている。

もちろん、答えの無い疑問なのだが

大切なのは、ジタバタすることだろう。

答えは無いのではなく、導くためにあるのだと思う。

今年になってから、ホトンド朝食はウィダーやらアミノバイタルだ。

訳もわからないが、いろんなところでアラユル好奇心も薄れている。

歳のせいだろうか・・・。

 

そんななか

最近、自分がデザイナーであることが不満である。

「デザイナーというジャンル」が固定的イメージになりつつあることが

非常に不満なのだ。

デザインとはデッサン、その行為が

行う本人を通して、瞬間でもっとも新鮮な表現、カタチでなくては

意味が無く、手法だの、玄人的カッコよさだのというのは二の次だ。

鉛筆だろうが、木炭だろうが、パソコンだろうが、洞窟の壁画だろうが

砂の上の線だろうがデッサンはデッサンだ。

 

デザインの地位を高めたいのか、自分たちの地位を高めたいのか

固着した学問にしてしまったり、定まった手法に閉じ込めようと

まとまろうとする現象もみえたりする。

過去、どのようなデザインがあったか、どのような手法があったか

そんなしみったれた考えは無用だと思う。

過去と同じ手法に見えるかもしれないが、同じにはできっこない。

同じである事に意味は無く、感じ手側がどう感じるかである。

デザインは、いい意味で無法地帯でなければならない。

過去の世界には、基本というものが重んじられた。

だが、テクノロジーの変化によって、表現の部分は、人の手でも

機械でも何でも良くなった。

問題は、何をどう考え、何を作るかである。

基本と言う部分が、手法とか、手段と技術といった次元から

ようやく久々に人間本来の感じ、思考し、作ろうとするチカラが

必要なご時世になったように思う。

 

作らないことにはデザインは始まらない。

このごろのデザインは作っていないことが多い。

過去の負の遺産、企業イメージや、実力、バーチャル、ソフト

処理速度、上司、部下・・・客に問う前に、勢いを失いがちである。

「できちゃった製品」のデザインなのだ。

グローバルという意味を、地球上で人の集中する場所・・・と

勘違いしているところも、ずいぶん違うと思う。

人間はもっとシンプルで居られるはずだし

人の住む場所だって街ばかりではない。

デザインというコじゃれたウタカタのジャンルが

街のためだけに作られて来たことに

今更ながら苛立っているのだとも思う。

 

もっと生活の中でしっくりいっていいモノだと思うのだが・・・

 

何かをこの手で作りたいから、この世界に来たが

あれこれしがらみでチットモ作れない

複雑なばかりで、作ったところで何だか意味が無い・・・ところへ

来てしまっているようで

作ること、生きること、そして釣ること

長男の意味を導くのに、新たなスタイルが必要になった。

 

まあ、メーカーに入って楽しく流されて来た人生なので

思い返せば原因は長男的ではない「判断なし」状態にある。

こうなる前に対策を講じておけばよかったんだろう。

海を目指していたと思ったら、知らないうちに三日月湖に

淀んでしまっている感がある。

数年前までは、目立たないけれど

仲間やお客さんとシッカリしたモノづくりをできてた。

 

こうなると

独身以上に、もっと身軽になる必要があるかもしれないし

南大東で気付いた事以上に、生命力アップの生活転換を

しなきゃならんのかもしれんなあ。

  


 

のんびり南大東に行っていていいんか?

と思う向きもあろうが、人生は長い。

南大東に行くことも必要だ。

企業、横浜のなかで、スケールが縮んでしまっているから

地球スケールに戻さなきゃなるまい。

 

とりあえず、今年も一眼レフデジカメを持っていこう。

ちょっぴり高いが、これがないと、南国の日差しが悪さする。

割高フードを買って付けると、改めて・・・カッコイイな・・・

(フードを付けても使いやすいタムロンのキャップも買って来た)

 

週のはじめ

大東で出会った友人Oがついに徳之島へ移住するという。

その激励会的飲み会の場で、写真集を出したいなあ・・・と

正直な心が口をついて出た。

その場にいたのは、Oが無理矢理連れて来て

我らの仲間に加わってくれた、出版社経営をしているI氏。

ムリヤリさは僕には無く、まだまだバイタリティ不足だが

運は味方してくれているようだ・・・

 

今度はチャンスを逃すまいぞ!と気合を入れつつも

日常の好奇心低下、右腕の痛みをやけに気にする長男でもあった。

なんくるないさ・・・かな。


ではまた