秋ふかし、人こいし、海こいし、旅もこいし・・・


今週も、年度末やら師走以上に忙しく、医者に行くヒマモナイ。

週末は、あまりのキンチョウのあまり、平日に眠れないので

朝、目覚めても頭がモンワリと痛く、とりたてて熱があるわけでもない

ただ、眠いのだ、だが、外は悲しいのを通り越して虚しく秋晴れである。

休日だからゆっくり寝よう、そう思って二度寝しようとしても寝つけない。

ここまで眠れず、寝付いてもすぐ目がさめるなんざ

もはやノイローゼ気味か???と思うほど、情けない週末。

また、風邪の治らない週末がやってきていた。

これだけ風邪が治らないのにはワケがある。

これは半分風邪じゃない。

これはゼンソクだ。

だがゼンソクといえるほどゼンソクらしくなく

比較的激しく発作的につづく咳きのとき

懐かしいヒューヒューといったノドゴシが味わえるので、確信するのだ。

体はだるくない、むしろ、ピンピンしている。

夏の終わりの体力診断のとき、運動量を増やすようにといわれ

あの、鶴見川、毎日釣り可能通勤遠回りプランを実行し始めて

どうも、車の少ない道を選んだつもりだが、やはりこれまで過ごした

山口県防府や伊勢や愛知県長久手町よりも数百倍は濃い排煙を

毎朝呼吸しているのであろう。

けれど、とりあえず体力が、運動が先だ、そう思ってやってみた。

おそらく

これまでの7年間の横浜生活、そのまえの5年の大阪生活で蓄えた

排ガスのアレルギーが、ココに来てあふれてきているようである。

 

それに、ストレスから来てるふしもあるのだ。

どうも話題が病的でイケナイ。

 

不況がつづくと、どうも人間自体がセコクなるのは世の常のようである。

昨日おとといと社員研修にノンビリと日常を離れて行くことができたのだが

それがまあなんと、経営シミュレーション。

貸借対照表とか損益計算書とかCCMとかなんだかワケがわからないものの

イズレは会社を脱出し、ひとり立ちしたい長男としては必要な知識を

自動的に教えてくれるという、とても有り難い、会社にはちょっと悪いかなあ

という機会である。

 

最終的に、経営者となり、グループ毎にわかれて、会社を構成し

それぞれのグループ(会社)で市場を競い合うというゲームにより学ぶというもの。

そこで、シッカリと順当にまず大枚の長期借入れをして設備投資し

更に短期借入れして社員を雇うという、ごく基本的な高度成長期のような策を

とったものの、他のグループは短期のシミュレーションなので、現在の社員で

なるべく設備はせず(借金しないで)しのぐということをやったのであった。

それも、僕のグループ以外全部だった。

 

いけない、これはいけない。

 

高度成長期以来の策が勝つ!という経営ゲームのアルゴリズムもヘッポコだが

資本主義の基本である、発展しないと維持はなしという基本構造が

維持できないという世相が反映されていることになる。

アメリカ中心の、単純明解、自分がもうかれば、それは自由。

他人がもうかればそれは何らかの理由をつけて悪という

利己的理論の基本を社会が受け入れ難くなった限界が見えたのだ。

 

まあ当たり前のことなのだが、資本主義自体が自由主義だという

妙な誤解が世界をねじまげているのだ。

自由が勝つ、そんなことは絶対にないし、自由の有るところ、かならず不幸があるのだ。

ぼろ儲けするやつがいるということは、かならずその影で泣いている人がいる。

それをようやく、体が理解してきたのだった。

だから、皆、借金しないでしのごうとしたのだが

こうなると、その絵に描いた成長をアテにして構成された税制にひびが入り

更に海外に展開した企業からは税収がなくなる。

サラリーマンと起業だのみだった税制は破綻をきたすので

やれ、買い物袋に税をかけたり、ゴミ袋に課金したり

これまで問われなかったし、役に立たなくても書類を処理すれば済んだ

仕事自体が無駄なのがばれつつ、それでも自分たちのくいぶちを確保しようと

役場の人間の賃金のための搾取が始まったのだ。

おおよそ、企業並みの努力をすれば役場の8割はいらなくなろう

というのが僕の見方である。

それほど、今様となって必要でない組織があふれているのが現状だ。

こうなると最悪だ・・・というのが今の状況である。

かたや、モノが売れない。

で、売上が少ないので納税額が少なくなる。(収益がないので、税金の払いもとうぜん減少)

税額が少ないので役場は躍起となって増税する。

すると、消費は尚冷え込む・・・。実にわかりやすい構図だ。

このままだと、何もかも、高度成長期に考えられた今の仕組みは全滅である。

ああ、もう少し明るい話題はないものか・・・。

これほど単純にして、バカらしいほど解消されない社会構造では回復など無理。

正直なところ、これからは真面目に働いても無駄である。

年金制度や退職金制度は間違いなく破綻するのだ。

(破綻させない様に、リスクは増大し、最終的に損をする人間を作らねばならない)

本来、これは、国家の沈没を意味するのだが、これが日本人には経験がないので

わからないから、未だに政権を糾弾することも、何ら新たな論議を起こす者もない。

これからは、自分の身は自分で守りなさい、これが基本だ・・・といって

テロの目標になった国を見本にしようとしているのだが、反論するより

目前の仕事やなんかにかまけて、政治からは目をそらすというのが現実だろう。

 

まあ、家族があるかたは、覚悟しなければならない。

自分たちの未来はなくとも、子供は育てるのだ、ということを。

もう、今の労働者に将来の老後の安定などあり得ないのだ。

若者が減少することで様々な保障は無効となるし、税は増える。

自己責任ということばのもとに、国からは見放され、意図していない政権が

日本の制度を決め、政権交代しても、役人の生活維持のため増税もつづく。

 

こんなまずい将来が待っているというのに、働けるか!!!バカヤロウ!!!!!

と思うと、毎晩酒を浴びるほど飲んで、壁とか床とかにコブシを振るってしまう

そんな毎日になりそうである。

 

人間の力は、断じて破壊のためでも、人を傷つけるためじゃない・・・

と思っていた長男でも、気がつくと壁にコブシ痕、手のこうにはキズ・・・

抑えきれない・・・といったことになってきた。

 

せっかく苦労して働くことに意味がなくなるのである。

 

こんなに腹立たしい、やりきれないのは、人生最大の危機であった。

秋だから落ちこんで、ノイローゼ気味でどうしようもない長男だから・・・という

単純な理由からではなさそうなのである。

 

何でも良いから前向きに、心を未来に向けたい。

まだ結婚もしていないし、例え今は無意味でも、未来に希望をつなぎたくて

子供も欲しい・・・。

めが見えず耳が聞こえなかったヘレンケラーは

井戸水を手に受けた時、始めて言葉の意味を、手にあたる冷たい「水」が

この「言葉」の表すモノのことなのだ、ということを感じたという。

何か、不景気に打ちひしがれ、何か間違った自分だけの小さな幸せだけを

求めようとしていたことに、ふと気付くために冒険が必要であると思う。

命が危険にさらされる、生きた体験が必要であると思う。

それが僕には釣りである。

本当は、人生を変えてくれた、このカスミアジを釣るための

険しい磯へ釣りに行きたいが、今はそうはいきそうにない。

だけど、どこか、僕が歩いたり、釣ったりするような

完全に日常から気分を解き放つことが、日本人には必要である。

そんなことを、まだ治らない風邪のノドを思いやりつつ

おぼろげに想像する今日この頃であった・・・。


ではまた