我が家系にメール文化開闢・・・


週末、正月以来、久々に実家に帰ってきた。

というのも

先日の星(*アスタリスク)になれっ事件があったためである。

実は、我が家にファクシミリを入れさせたのは僕なのだが

僕んちのオタックスのスキャナーがじきに壊れてしまい

今は受信専用となってしまった。

だが、ファクスを修理に出せば、電話がなくなってしまうし

捨てるには粗大ゴミであるから、申し込みが面倒くさい。

こうなれば、断然、メールを開通するのが正しかろうということで

金曜日の大阪出張に合わせて帰省したのであった。

最低限、ダイヤルアップのやり方と、ネットスケープの立ち上げ方を

伝授してきたが、近いうちに抜き打ち試験をしなければなるまい。

せっかく贈ったIXYデジタルも使ってないらしい。

当初、何に使うのだ!?とパソコンに懐疑的であったが

息子の物量投入作戦にあい、お袋さまから攻めた戦術が功を奏し

世の中の流れもあって、自分もやりたくなったようであった。

家にはパソコン何とか・・・といった雑誌が結構たくさん

買われてあり、表紙がピンピンであるところからすると

まあ、マニュアルとして常備した・・・といったイメージなのだろう。

英語教材を枕元に置いて寝ると、ズイブン心が安らぐのと似ている。

しかし、一丁前に

「今はもう、Meに変わってちょるから

 どうも微妙にちがって、ようわからんのだわ」という。

うーむ、ついに我が家にも、ビルゲイツの文化が浸透してきた

感じであった。

OSの違いを論じることが、こんなに早く来ようとは。

僕がお袋さまに謙譲したのは98SE。

弟がオヤジ殿に託したのは恐らく95の極初期版だろう。

しかも、浪費家の弟が持っていたのはソーテック製で

のペンティアムで133MHzであり

僕の方はMMXペンティアム166MHzであった。

この辺に長男の優位性が出ているような気もしないでもない。

弟は昇進が早く、自衛隊の官舎などですごしているし

あるいは食事も出るはずなのだが、意外に貧乏である。

一極集中型の投資にはなっていないようだ。

がしかし、長男たる僕はご存知の通りである。

その貧相なソーテックに甘んじているのに耐えられず

あれほど嫌がっていたのに、デスクトップパソコンを

買ってみようか・・・などとのたまっているオヤジ殿を見るにつけ

時代の変化というか、やっぱりパソコンてのは壮年にも

便利と感じられるほど成熟してきたのかなあ、とも感じる。

まあしかし、僕の使っているバイオなど

トランスメタ社製TM5600、600MHzという

怪しげなインテル互換の省電力だけがウリのCPUを搭載し

奇妙な電力管理をしている上、ソニーのパソコン特有の反応の遅い

ウィンドウ操作環境に対して、映像、画像編集などのソフトを

使うためか「良く落ち、良く眠る」。

スリープモードのまま眠り姫状態で永眠することも多い。

もちろん、王子様のキスではなく、画鋲でリセットボタンを

ツンツンして起こすのだ。

とても完成度が上がってきたとは思えない。

ただ、ネットの環境が浸透してきて、パソコン単体ではなくて

ネットワークと接続するのが当たり前なのだという

文化が浸透してきているのは確かだ。

まあ、全体としてコナレて来たと解釈することにしよう。

今後は自助努力を促進してもらうよう刺激しようと思っている。

やっぱり、他人からもらったものよりも、自分で買ったものの方が

格段に気合が入ろうというものである。

コカコーラの懸賞で当たった車など、すぐに売っちまいたいが

この間知り合ったばかりの彼女のためとはいえ

自分で苦労してローンを組んで買った車なら、毎週ワックスできる。

そのようなものだ。

ただ、思うのは

どうも我が家には昔のパソコンが存在したばっかりに

まずい意識が根付いているようにも感じる。

一概にそうとばかりも言えないだろうが

パソコンに複数の事をやらせる・・・というのが

一度に理解できないようであった。

インターネットに接続するのに、どうしてダイヤルアップを起動してから

ネットスケープを立ち上げるのか

はたまた

最小化して、小さなメニューに成り下がってしまったソフトが

どういう状態にあるのか、解らないようである。

ウィンドウという概念が、どうも駄目みたいである。

同じソフト上なら、まだ紙が二枚あるのだ

くらいで何とかなるようだが

違うものが二つも立ち上がる事自体

どのような意味があるのか、全く理解不能のようであった。

確かに、完成度の高いソフトがあって

全部の機能がメニューによって操作できれば問題ない。

そういうソフトなら大歓迎である。

例えるなら僕の使っているホームページビルダーなら

過去、一生懸命タグをテキストエディターで書き込み

出来上がったらブラウザーのネットスケープで読み込んで確かめ

FTPソフトを起動して、アップロードした、それが今は

ビルダーだけでできてしまう・・・これが当たり前だと考えるのは

全く正しいことである。

やりたいことがやりたいソフト一つでできる、これは、ごく自然なことなのだ。

だが、ビルゲイツをはじめとしたパソコン帝国の首脳陣は

この文化が正しい、これこそが正義と言わんばかりの勢いで

全然直感的ではない、はたまた、人間らしくない文明を

無理やり数の力で押し通そうとしているかに見えるではないか。

確かに奇妙な人たちが居る。

一見それは手段に見えて、それを最終目的にしている人が出現したからだ。

パソコンが友達で、実際の友達と話すのでもパソコン経由である。

それはデジバカではない、単なる依存症だ。オタクの一部でもあるだろう。

 

例えば、電話。

距離を置いて人と合わずに会話し、何らかの約束や事象を伝える手段だった。

だが、今は、誰でも良いから電話で会話したい・・・というところまで来ているし

井戸端会議を電気的に伝送して

引っ越した先からでも井戸端を維持するといった

人間の、基本的欲求だけを満足するに至っている。

これじゃあ、単なるストレス解消グッズだ。

だが、通話料がもらえれば、電話会社は問題ないので

あえて問題視するようなコメントはひかえて来たのが事実だ。

現象を指摘しても電話会社が解決などできないからだ。

人間が窮地に立たされたとき、基本的欲求に立ち返ってストレスを解消する

これは自然の様であるが、一面、メディアに頼るのは末期的でもあるだろう。

何も解決しない、何も起こらない。

人が独り、生き延びるための、切ないストレス解消。

それにはあまりにも、不平等ではないか。

だれもが電話したいのなら、誰でも悩みを聞いてくれるサービスがあっても良いし

井戸端会議など、前の土地でなくても、あらたなコミュニティが作れるのだ。

手段が目的になったとき、不健全というか、やりきれない事態がそこにある。

何も解決せず、何も起こらない世界がある。

ただ、気分だけは一時的に楽になるのだが。

 

デジタルというのは、誰のタメにあるのでもない

人間が人間のタメにではなく

ある人間が、自分のタメに生み出したかもしれないものである。

 

しかし、これは見ようである。

 

正しい正しくないなど、後の世の暇な人の考えることだ。

とりあえず、使えるやつが使える道具を使ってきた

これこそが人類の歴史だ。

世界を制覇したとき、それは正しくなるのだ。

 

今日、初めて実家から、お袋さまからメールが届いた。

 

そのメールが届くとき、

なぜかフト・・・

仕事の途中のコピー機の前に居たにもかかわらず

携帯を手に取り、画面を見つめると・・・

「メールを受信しています」と表示されていた。

 

デジタルとも、超能力とも無縁な

ただ「家族の知らせを感じる力」か何かが働いて

僕は携帯を開いた。

 

家族とはこういう絆があるのかもしれないし

便りがなくても感じているのかもしれない。

 

携帯電話へのメールは、瞬時に届く。

電話のように双方のタイミングを合わせないで

ファクスのように距離で課金されず

情報を、心を、想いを伝えられるのだ。

電話よりもファクスよりも便利なメール

これを我が家でも定着させない手はないと考えたのである。

 

内容はたどたどしく

キーボードの使えないお袋さまがどのように打ち込んだか分からない

何分かかったかしれない、が、簡単な文章が携帯の液晶に表示されていた。

パソコンなど自分には、豚に真珠だ・・・とか

猿にラッキョだ・・・とも書いてあったが、それを言うなら

猿に玉ねぎであろう。

猿に玉ねぎを渡すと、むいてむいて、まだむいて、実が出てこなくて

ムッキーっ!!!と怒り出す。

この様は、僕がお袋さまにパソコンを贈り

ロクに思い通りにならないので癇癪を起こす様を思い起こさせて

ぴったしであると思うのだが・・・自覚がないのだろう。

 

ともあれ、僕はデジタル好きである。

なぜなら写真の色が未来永劫?変わらないからだ。

そのために、大切に貯めておいた貯金を

あっという間にフィルムスキャナーにだって使う。

 

けど

先日、僕のこのHPを読んだ方が居た。

そして、南大東へ旅立って行かれた。

ただ読まれるために書いたのではないが

強く想いある方にも

そうでない、ごく自然な見方の方にも読まれたら嬉しい。

なんにしろ、読まれたり誰かの役に立つ文章を描くというのは幸せである。

 

デジタルというのは色褪せない。

 

色褪せないのが目的ではない

読んだ人が、その新鮮さ、自分の感じた感覚を新鮮と感じ、

色褪せずに、妙な歴史観や情報の古さに対する

内容への懐疑心を抱かずに、ストレートに共感した方が良い場合もある。

 

自分の共感する事象が、数十年前のものであった・・・

 

そう感じただけで、もう減速する人もいるが

この時代にも俺と同じ考えの人が居た、だけど、俺はもっとヤルぞ!!!

という心持ちを生まれさせることも可能なのがデジタルである。

過去であって過去形ではない実感があるのだ。

 

とにかく、これから、何かやりたい!と

思う方に、新鮮な情報を、

それがデジタルであるし

自分にとっても

ヤルゾ!あれは過去であっても、今の自分と同じ自分が為したことだ!と

そんじょそこらの、ファイト一発どころではない

やる気を起こさせてくれる、貴重な自己の記録であることも

大切な要素ではないだろうか。

すくなくともセピア色の写真よりは勇気がわこうというものだ。

 

あるいは今、

地震が来ても、この大切なデジタル情報を失わない策を考え始めた。

何を持って逃げるのか、災害対策用リュックサックに常備するのは

ハードディスクか?はたまたバックアップテープか?

このボーナスで何らかの結論を出そうと思っている次第。

災害地でも通信できるよう、災害用ノートパソコンなんてのも

デジバカならでわでヨロシイ気もする。

当社の業務用防水ノートパソコンを手に入れて、そこにバックアップしておく

これは実にデジタル的おしゃれであろう。

なら、防水デジカメも必須だ。

ウーム夢は膨らむ・・・?

ん?関東大震災に夢を膨らませると言うのは不謹慎であるので

ここまでくれば、筋金入りといえるだろう。

デジバカ地震対策、テーマとしてはヨロシイではないか。

どのような状況下でも、情報を収集し、HP化する

実に正しいデジバカである。

そこまでやるか・・・できるか・・・投資するのか・・・

今夜から真剣に検討するとしよう。

ああ、どこへ行くんだろう、僕は・・・。

ともあれ、質素で美味しいモロヘイヤ雑炊でも食べながら

考えるとしよう。

ああ、たいそう質素だがウマイ・・・。

ただのデジタルオタクでは済まさんぞ、絶対になっ!と

栄養を補給し元気が出たところで

心には行き場のない闘志が涌いてきている

そんな長男であった。


ではまた