っていうか・・・


まだ目がボケつづけているから、今週はかなり深刻なのだろう。

しかし寝不足、パソコン使用量やデジカメ使用量は変わらないどころか増える方向。

今日も雨が降り、昨日は雷が鳴り、気分はすっかり梅雨であるけれども

梅雨がイヤじゃないので、気分は楽しいまんま・・・。

最近、社会の変化が激しいので、僕の仕事の変化も激しいみたいで

昨日と違う明日が確実にやってくる気がする仕事が多いのか

毎日が楽しい悩みに満ち満ちていて、会社が活路を求めてアチコチあれこれと

あの手コノ手で頑張るアイデアを出すべし!というミッションが増えており

ココはヒトツ、実に楽しい瞬間が毎日つづいているのである。

梅雨は、釣りの世界で言うと、雨が続いて、沿岸では水潮となり

生態系がシャッフルされて活性化する時分である。

そして社会は、不況になり、アイデア次第、知恵次第でシャッフルされ

新たな仕組みが生まれる、とても明治維新のような時期である。

これを楽しまずして、男のロマンは無いぞ!的な時節が今であった。

こういうと、時代の最先端を楽しむ優秀なブレイン的人物と誤解されそうだが

ただ、時代の流れを感じたつもりで

日々違う自分の生活を楽しんでいるだけの単純男であった。

 

けれども、その余裕というか、トロフィー的バカロマンな生活安楽感覚がどこからくるのか?

というのは、謎だろう。

基本はマニアック系趣味的突っ込み型消耗大好き系燃え付き型人生に象徴される

独り者常設自己満足あっけらかん型生活を歩んでいるので(つっ走っているのか?)

家族を持たない気楽な人生による、オキラク趣味世界が大きく荷担する背景が支えているのだ。

が、別に家族がないことに満足しているわけではなく、今を満喫しているだけでもあるのだった。

 

とはいえ

このマニアック系の根源とは、僕の親の代にさかのぼって

おそらくオヤジ殿のコダワリが生活の中で、ぼくの心に染み込んだものだろう。

そう、その心に染みた情報のひとつが、ミリタリー情報、つまり、軍事情報であった。

オヤジはカメラマンであると同時に自衛官でもあったのだ。

言わば、自衛隊一家だった。

 

こういうと、雑誌「丸」を読みふけり、国防論を自己解釈して

酒の席や事ある毎に猛り叫び、愛国心について熱く語る・・・というシーンも想像できる。

 

しかし、僕の場合は単純に戦車好きとか、好奇心旺盛型知識充填主義ともいうべき

本来はプラモデル大好き少年であった。

プラモデルが好きというよりも、何かこう、甘ったれた温室人生のなかでの

戦う道具への憧れが強かった・・・というだけかもしれない。

とはいっても、プラモデルへの情熱は、いったん火がついたら長男である以上

タダ事ではすまない取組みへと深化するわけである。

その布石が、実家の陳列ケースに収まっている。

 

兵器と言えば、まずイスラエルである。

ご存知無いかもしれないが、ハイテクアイデアの宝庫と言えばイスラエルである。

ユダヤの自国を維持するために、英知を結集した結晶が市場にもあふれている。

プラモデルでは、これまで「直接」近接諸国とあいまみえた武器達が

ただならぬ迫力と説得力を見せて君臨しているのである。

これに気付かず、ただ、湾岸戦争の単なる西側物量主義的兵装の

実戦に参加しましたという兵器とは違う、国が危ない、我々が危ないという

本心での危機感にあふれた兵装ではない、米国やNATOのモデルは数多い。

しかし、それらは、立派に戦ったとは言え、偽者である。

つまり、兵器とは、その土地でのみ100%優秀に機能することが理想である。

それ以外で機能するのは、すなわち、本来は愚の骨頂であるはずなのだ。

だから、遠征してまで、他国の平和を守るのだ!などとして、地勢も情勢も異なる地へ

兵力を向けるのはよほど数やテクノロジーの差があるためで、実際の兵力というか

戦略が優れているわけでは、決してないのである。

しかし、それもまた、戦争であった。

自国を維持発展させるために、力を出すための道具、これが兵器である。

 

そのさいたる存在、それがイスラエルの兵装である。

自国で開発できるものは自国で、しかし、今必要でも、自国でまかなえないものは

他国から買い、それを「完全に」自国向けのコンセプトで「改装しつくし」て使用する。

税金に対しても実に前向きな提案として「国土を守備する」ため国民に受け入れられるべく

努力して作られた兵器である、というのがイスラエルの戦力であると思う。

 

その正しい兵器の魅力が、僕をとらえたため、僕はプラモデルを作ることとなったのだ。

大げさなことではなく、ただカッコイイだけでない

男心を動かすに十分な動機だと思うのだが・・・?

 

学生時代のヒマと情熱を傾けたモデルがこれである。

M60、アメリカの70年代の旧主力戦車で、装甲は鋳造で、今ではもろすぎる。

だから、お弁当箱的「爆弾」を自ら背負うという、全く逆転の発想による

イスラエルオリジナル改造戦車である。

砂の国であるから、エアフィルター周りは砂対策で当然改造されているとして

この、自ら爆弾を背負うのはナゼか???

戦車には、二つの撃破方法がある。

戦車の機能を破壊するほど強力な武器で破壊し尽くす。

それと、中の人間だけを殺す。

後者のほうが楽であった。通常、着弾したとき高圧高温のガスを

小さな穴をあけて戦車内に吹きこみ、人間のみを焼き殺すというHE弾というのが

メジャーであった。兵士が携帯するミニミサイルもこんな殺し方だ。

これを防ぐのが、意外にも爆弾である。

小さな穴をあけて、高温のガスを噴射しようとするとき

装甲板を若干浮かせて二層にしガランドウを設けて、そこで吸収させると

これが中空装甲。しかしそれだけではだめなので

中空部分に爆薬を入れ当たった瞬間、自ら爆発し

高温のガスを爆風で分散する。この全く新しい考えが、リアクティブアーマーこと

チョットだけ自爆装甲なのだ。

しかし全部イッペンに爆発しては自爆であるから、お弁当箱大で仕切ってあるのだ。

 

イスラエルは、国民人口が少ない。神風とは反対に、自国民を最優先で守る。

自国開発した戦車にはそれが明瞭かつ、斬新に表現されていた。

タル将軍ことドクタータルの思想である。

この、世界に名をはせる、イスラエルの重戦車は他国では使えない。

だが、エンジンをボディ前方に装備するという全く新しい構成と共に

燃料も装甲として用いるという、空前絶後のアイデアを採用している。

ディーゼル燃料である軽油は、発火の危険が少ないので、制動力の高い

液体を防護に使うという画期的なアイデアに転じたのだった。

ちなみに、ピストルの弾は1メートルの水の壁があれば、豆腐でも安全な無力になる。

液体はそういう力があるのだ。

そのうえ、中東は市街地のゲリラ戦が多い。

だから、戦車にも対人用の機関銃は多く装備される。(通常一基だが、イスラエルでは3基)

小型のミサイルやロシア製バズーカというべきRPG-7といった

「兵士の軽装火力」に対抗するという、矛盾に満ちた戦車である必要がある。

重戦車なのに、相手は兵士である場合も多いのだ。

軽装とはいっても、火力は大きく、ハイテクならでわの

戦車には実にやかましい、悩ましいミサイル類で、使い様では戦車砲と遜色ない威力。

それがどのビル影から飛んでくるとも限らないわけで

通常、戦車とは前方、および側方重視で作られる。

しかし、背後からチャッカリと攻撃されるなど、市街戦ではジョウトウ手段である。

 

戦車がなぜ必要か、それは大地を、国土を守るなり、その土地を制圧するには

かならず、兵士がその土地にジックリと居続けられる必要がある。

空爆では何の制圧でもなく、それは単なる威圧でしかない。

威嚇(いかく)といっても良いだろう。本当の占領の意味はないのだ、それが戦争である。

そのゲリラ戦にまで対応する特殊環境のための重戦車が

メルカバ、この戦車なのだ。

砲塔背後のバスケットに生活用具が満ち溢れているのは

ただ、生活のためではなく、後方からの火力を防ぐ盾にするためでもあるし

その下にある、ジャラジャラの特徴的なチェーンカーテンもそういった目的のためである。

(チェーンカーテンは完全に自作で、ネックレス用鎖と洗面台用タマタマチェーンを流用して再現)

こういったきめこまかな配慮は、他国の装備には見られない、正に自国を心底から

守り抜こうとし、さらに、搭乗員も失わないという思想に貫かれているのだ。

こういう兵装こそ、税金を投入するに値するのだが、日本の90式戦車がそうか?

といわれると、全然違うように思うところだ。

だが、我々国民も気にしないというか、無関心と言うか平和で無知なので

メルカバより倍以上高く、国土に合わない戦車を配備する無理ムタイな予算を黙認しているわけだ。

90式戦車は優秀に見えるが、国道を走ればアスファルトにめり込み、橋を渡ろうにも

橋がもたないという、お笑いにも程がある戦車であることは、知る人も少ないだろう。

誰のタメに作った、技術の結晶なのだろうか?本来、注文通り作ったただけの

三菱重工のせいではない。

 

中近東には、ロシア製の比較的安い戦車を導入する国家も少なくない。

あのイラクもそうであるが、彼らが空爆に屈したのは、ロシア製であることも大きい。

ロシア製の戦車は、弾をよけるために車高を低くし、そのために、乗る人間も

身長制限があるという、一風変わった思想で作られている。

この、ビュリニスのニュース映像でも見られた

リトアニアでも使用されている戦車、T-72シリーズもそうである。

これは、先のイスラエルのアイデアをそのまま取り入れた(パクった)

四角いリアクティブアーマーを所狭しと身にまとっているが、基本は狭苦しいロシア戦車だ。

(今や、アメリカもイギリスもリアクティブアーマーはパクっており、湾岸戦争で使われた)

ビュリニスでは一応身長さえ157センチ以下であれば問題無く運用できる。

だがもちろん、砂漠用の強力なエアコンなどありはしない。

あくまでもロシア用であるから、それを買ってそのまま使うのは

あくまでラテン系思想というか、買って安心、英語教材枕元置くだけ使用と

なんら変わりはない。

そこまでではないが、地理にふさわしからぬ戦車は石の狸である。

ただ、イラクは、石の狸で国防を行おうとしたのかもしれない。

金で軍備を揃えれば、国防であると思った・・・それは金がある国のオゴリなのだろうか。

士気が高い民族ゆえの兵器改善への軽視があったのだろうか。

軍は物量ではあるが、金ではない。

訓練を積んで、同じ武器でも使い方で「他国より強力」にすることが重要なのであって

配備することだけが意味あることではない。

そんな配備など、関係雑誌を読むマニアですら

実力がタチドコロに見ぬける程度の軍備である。

 

アルゼンチンがイギリス海軍に屈服したとか、湾岸戦争でイラクが敗北したのには

本来の国民の思いとは別に軍備に対する訓練度合いも大変に関係ある。

例えば、アルゼンチンが配備していた、フランスのミラージュ戦闘機は

デルタ翼といって、上からみればほぼ正三角形の翼を持つ機体。

すなわち、高速旋回能力(ターン)の優れた空中格闘向けジェット戦闘機で、マッハ2を誇る。

対して、イギリス海軍はあの有名な、垂直離着陸意外無芸とも言えるジェット戦闘機

シーハリヤーである。

最高でもマッハ1でるかどうかのどちらかといえば、遅い機体である。

どう考えてもミラージュ戦闘機が要撃(迎え撃ち)には優れているはずなのに

負けちまった・・・というのは解せない。

空中で急停止し?(できるのか?)、ヘリのように静止して居られることを利用し

パルスドップラーレーダーの弱点「止まったものが見えない」ことを逆手に取って

レーダーアクティブホーミングのミサイルを無効化したわけでもないと思う。

ましかし、とりあえず、使い方、習熟はとてもとても大切である。

 

しかし、そんなことはさておいて

一台四億以上する戦車・・・それが何十台も配備されている日本。

通常、戦車は二億しないのが常識だから、それがいかに高いか・・・。

実は小銃(ライフル)もそうで、通常数万円のところ

日本では50万円なんてことがざらである。いかに日本国民の税金支払能力が高いか

ということが、世界に誇れる事実であることか・・・。(兵器の無知はほこれないよ・・・)

日本が予算において、極東の先端軍事力であるというのは、こういった誤解によるのだ。

予算は多いが、高いだけのナリ金装備を調達するので、別段、とりたてて強い軍隊は

作れないのであった。

ちょっと考えれば良い方法があるが、それは実に不可侵領域であるのだ。

今や、政治に聖域無しというけれど、無視したら、聖域も同じと言うか

不可侵安泰領域確保容認行為いや、推進行為となってしまうのだ。

国防だから、間違いない選定だろうというのは、超超超超チョー、大きな誤解である。

そこにこそ、大きな間違いが誰の反論も無いままに放置されているという事実に

いまだ、機密費流用どころではない議論をだれもやろうとしないのが、この世界である。

機密費なんて、次期支援戦闘機FSXや90式戦車の予算に比べれば

カワイイ子供の戯れであるのだが・・・。

 

まあ、ややこしいことはさておいて、こういった背景を勉強?しつつ

資料を集め、あれこれアチコチ改造して、生活感あふれるイスラエル戦車を作る。

これが楽しかった証拠が、これらプラモ写真にあるわけだ。

 

実戦に参加した軍人でもないので、さもエラソーにもの申すフリをしているが

これも実のところ空論である。

が、とりあえず、プラモデルをつくるには十分な魅力源であり

それに支えられ、地方の店舗が行うプラモコンテストではトロフィーを2個持っている。

昔、その昔、こういったコダワリで、プラモを作っていたこともあった・・・のであった。

今も、プレミア物?かどうか知らないが、ずいぶん前に買った、手付かずのプラモが

いつかきっと、作ってやるぞ!というハカナイ気合のもとに、実家や我が家の押入れに

何個も眠っているけれど、いつ手を付けるのか見当もつかない。

確かに、ルマン24時間耐久レースに出場した車両も

NHKのプロジェクトXに出られる資格はあるだろう。

ただ、そこでは語り尽くせない、複雑で薄汚いかもしれない人殺し至高の道具

「兵器」の悲しくも美しい?在りし日の姿を想像し、再現する。

それに魅力を感じいていたこともあった長男であった。


ではまた