ルアー釣りをはじめてから二十余年も経ったのに

釣れた魚はずいぶん少なくて

自慢できた事ではないけれど

だからこそ一匹一匹の命の重みを覚えている気がする。

 

生まれて始めてルアーで釣ったお魚は

釣りキチ三平の流行っていた小学生のころ。

 

当時は山口県に住んでいたので

たまたま訪れた山陰の仙崎港で、

オリムピック製のセットのルアーの一本のジグを

投げたときの事。

 

竿はもらい物の六角バンブー投げ竿に

いっしょにもらったリール。

5号あたりの安い糸に直結で使った気がする。

直結とは言いながら多分チチワ結びで

切らずに使いつづける配慮をしたに違いない。

そのころの我が家はかなり貧しかった。

 

当時は怪しげな国産ルアーもたくさんあった。

しかし、オリムピックの5本セットのルアーは

当時にしては珍しい海用ルアーのセットだった。

 今もそのルアーの2本は残っていて

いつか使おうと思うけれど、今のルアーをやめて

骨董ルアーを使う心の余裕のようなものがないらしい。

 

その時釣れた一匹目は20センチくらいのエソ。

次には14センチくらいのヒイラギであった。

もちろん、釣り方なんて知らない。

魚によく似た金属の固まりをいかに魚に見せるか

という心の衝動で動かしただけだった。

 

小学生の体に当時の2.7メートルの投げ竿は

決して軽いものではない。

しかもバンブー製だから中空でもない

それでも夢中で投げたのだ。

もちろん当時山陰でルアー釣りをする人など

ホトンドいなかったから

アジやイワシを釣っている人の間で

得体の知れない金属片を投げるのは

純粋な子供心にかなりのプレッシャーだった。

でも親まで付き合ってくれていたのだ。

 

その後、ルアーは時たま海で使ったけれど

ほとんど釣れるものではなくてあきらめていた。

 

大学のとき、学校の湖でブラックバスにであった。

月末の蛋白源にソフトルアーを使って釣ったものだ

それが13年前。

 

会社に入って一年、ローンで車を買って

会社での自分の生き方に疑問だらけだった心の整理をするのに

和歌山は潮の岬へ行き始めたころ

残業手当てが大量に手に入り

当時流行だしたシーバスタックルが

その後の生き方に大きく作用している。

 

それから半年後に力なく釣れたのがこの一匹。

のちにオヤジまでルアーにはまらせる事になろうとは

知る由もない。

 

初めて「スズキ」と呼べるサイズを釣ったときは

カメラなんて持ってなくて実家で撮ったので手元にない。

 

毎週のように和歌山に通い始め

高速道路に毎週乗るようになったは間もなくだった。

でも釣れない、なかなか釣れない。

雨上がりの和歌山は富田川で釣れたのがこのナマズ。

11センチのミノーがあまり大きく見えない。

こいつはストリンガーにかけていたのに

立場をわきまえず小魚を追いまくっていた、図太いやつ。

 

ヒラスズキは地元の人でないと釣れないとあきらめかけた

ある年末、仕事納めの後「あきらめないぞ」とつぶやきながら

すっかり明けたベタ凪の朝の浜で

ジグに来た3キロ近い産卵前のヒラスズキ。

こいつのお陰でアキラメがつかなくなった。

涙が出るほど美味しかった。

人を巻き込んで出掛けるとなぜか釣れる(同行者は釣れない)

しかし気まずい、誘った手前 .......。

紀伊水道は大川峠下で釣ったハネ。

55センチで1.5キロ

ヒラスズキのように体高のある居着きであった。

寮では御法度の鍋物を寮母さんを巻き込んで

こっそりと和室の大広間でやったものだ。

(大広間でコッソリとは結構難しい)

ダイワのスピニングのインフィニットの処女作だが

急に反転してしまったり、強度不足で

トラバースカムが食いついて動かなくなったりと

このあとダイワのリールはしばらく買わなくなった。

 

週の真ん中、水曜日は職場の後輩を無理矢理つれて大阪湾へ。

柵越えすれば結構釣れるというのは本当だった。

タチウオまじりで釣れてくる。

湾内の水深のあるところではエラ洗いしないことを知った。

大阪南港とはいえ若魚は美しい、でも食べない。

 

そうこうしていると横浜にリストラで飛ばされる

 

伊豆半島での釣りは旅行客を避けての辛い釣りと知り

日立側は東京をはさんで遠く、

やむを得ず伊豆大島へと向かった。

狙いはヒラスズキだったけれどサラシの中

初日の数投で来たのがこれ。

 

4キロはあろうかというハマフエフキ。

大都会のそばでこんな大自然があるなんてと驚いたもの。

これならヒラスズキなんて時間の問題と大きく勘違いした。

以後辛い釣りは続く。

何ヶ月かあと一度だけヒラスズキを水面まであげたが

頭にスレていてとりこみに失敗、 タモ網にはルアーだけが下がっていた。

 

意外にシケない事が多く、凪いだ10月、たまたまジギングを。

ファーストリトリーブはしんどいから

竿で横にしゃくっているとスンゴイあたりと引き!

どれほどの大物かと思ったら40センチに届かない。

シーバス仕掛けでは、とても強く感じる青物の登場であった。

これがまた人生のポイント切り替えをしたようだ。

スズキなどの白身魚とは次元の違うパワー、

独特の美しさ、一目惚れである。

 

早くしゃくるジグ

意表をついた大きなミノーのスローリトリーブ

好奇心の強いカンパチは昼間だろうが

大きなルアーだろうが関係ない。

 

初めて伊豆大島のお持ち帰りを実現した

瀕死になったイナダ、ヒラマサと勘違いして恥じかいた一匹。

エラを傷つけてしまったらしい。

釣場近くの豊田屋さんにクーラーを無理矢理譲ってもらって

おまけにペットボトル氷までいただいてしまった。

同じ食べるなら食べ比べをと

小潮の昼の満潮を目指して釣ると案の定ヒット!

めでたくカンパチVSイナダお刺し身勝負は実現した。

小さなカンパチより元気なイナダに軍配。

以来、オカズくらいはと持ち帰る習慣が出来た。

しかし、

クーラーは軽いけどペットボトル氷はかなり重い。

時期は前後するけれど、ステラ8000Hをはじめて手にして

カンパチが来ず、あきらめて黒いミノーを引いていたら来た

強烈な引きの茶色いハマフエフキ2.2キロ。

これはリリース、以来ハマフエフキは釣れていないが食べてみたい.....

 

秋も深まるとメジナ釣り師の間でルアーをやる。

コッパメジナの間をぬってそれなりのお魚が釣れることもある。

磯からのジギングでホウボウが釣れるとは?

この磯の下が砂地だとはっきり分かった。

白身の上品な歯ごたえと甘みが、とてもウマイお魚。

釣れるとグーグー鳴き、青いヒレを思い切り広げ

ワラワラと怪しい「足」を動かす愉快なやつ。

おおむね40センチ近くで形ぞろいでありがたいけれど

重いばかりで大して引かないのがたまに傷。

 

エルニーニョのお蔭様で97年秋は初めての大漁。

イナダが湧き、疲れたら底でホウボウ、ヒラメ、言う事なし。

初めてトップウォーターで釣れたイナダ。

ピラニアのようにルアーにたかるので

バレても平気、また次が掛かってくる。

あまりに釣れるので地元のシマアジ釣りのガイドのおじさんに

ルアーの手ほどきを請われるほど。

手ほどきする目の前でキッチリとイナダとホウボウが釣れて

夢のような一日だった。

この日、トドメに釣れたのがこの太ったカンパチ。

食わないのであきらめて磯際でルアーを止めて

引き上げようと思った瞬間、やにわに掛かった。

何が誘いになるのか分からないもの。

この日は小さなクーラーがパンパンで

折り曲げて最後のカンパチを収納したものだった。

 

これよりのち

青物の引きにさいなまされて

南を目指す

まずは奄美大島へ。

でも釣れたのは小さなカマスや30センチのマダラエソ。

3月の奄美大島は思ったよりずっと寒く厳しいのである。

 

これに懲りず、更に南を目指したのが

大東台風記にもある

沖縄の島であった。

 

大きな人生の道草のはじまりはじまり .....

 

それにしてもぼくのページはやっぱり長すぎますか?